1955年に録音された音楽

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1955年に録音された音楽

1955年は、第二次世界大戦後の国際秩序が「対立の固定化」と「新興国の発言力拡大」という二つの方向へ同時に進んだ年でした。インドネシアのバンドンで1955年4月18日–24日に開催されたアジア・アフリカ会議(Asian-African Conference)は、植民地支配の終焉と主権・平和共存を掲げる潮流を可視化し、冷戦の二極だけでは世界を語れない現実を示しました。一方ヨーロッパでは、ドイツ連邦共和国が1955年5月6日に北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)へ加盟し、西側の集団安全保障が再編されました。これに呼応するように、ソビエト社会主義共和国連邦を中心とする東側諸国は1955年5月14日に友好協力相互援助条約(Treaty of Friendship, Cooperation and Mutual Assistance)を締結し、陣営対立は制度としても輪郭を強めます。しかし対立のなかでも緊張緩和への模索は続き、アメリカ合衆国・ソビエト社会主義共和国連邦・イギリス・フランスの首脳が1955年7月18日–23日にジュネーヴ四巨頭会談(Geneva Summit of 1955)を行い、核時代の危機管理と対話の必要性が共有されました。また、オーストリア国家条約(State Treaty for the Re-Establishment of an Independent and Democratic Austria)が1955年5月15日に調印され、7月27日に発効して占領状態が終結し、戦後処理の節目も刻まれています。国際連合(United Nations)も1955年12月14日に16か国の同時加盟を実現し、加盟国の拡大が国際政治の議題をいっそう多層化させました。

同じ年、政治と経済の再編は国内社会や大衆文化の回路にも波及します。日本国は1955年に関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and Trade)の締約国となり、戦後復興から国際経済への本格的な接続を進めました。国内政治でも自由民主党が結成され、戦後政治の枠組みが固まり始めます。科学の領域では、ジョナス・ソーク(Jonas Salk, 1914–1995)が開発した不活化ポリオワクチンが1955年4月12日に有効と公表され、感染症への恐怖を社会規模で減らしていく転機となりました。その一方で、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)が1955年4月18日に死去し、20世紀科学を象徴した時代が一つ区切られます。 

メディアと娯楽では、ウォルト・ディズニー(Walt Disney, 1901–1966)が構想したディズニーランド(Disneyland)が1955年7月17日に開園し、映画・放送・商品展開を横断する「体験型」大衆文化のモデルを提示しました。音楽の現場でも、ビル・ヘイリー(Bill Haley, 1925–1981)とビル・ヘイリーとヒズ・コメッツ(Bill Haley & His Comets)によるロック・アラウンド・ザ・クロック(Rock Around the Clock)が1955年に大衆的成功を決定づけ、レコードとラジオが若者文化を加速させる回路が強まります。 さらにチャック・ベリー(Chuck Berry, 1926–2017)が1955年にメイベリーン(Maybellene)で注目を集め、ギターとリズムを核にしたロックンロールの語法が広がりました。公民権の領域では、ローザ・パークス(Rosa Parks, 1913–2005)の逮捕を契機に1955年12月5日からモンゴメリー・バス・ボイコット(Montgomery bus boycott)が始まり、日常の交通という場が政治と倫理の最前線になり得ることを示しました。 こうして1955年は、国家間の枠組みが固まるほどに、科学・医療・娯楽・音楽・市民運動といった「生活の側」からも世界が組み替えられていく、複線的な転換点として位置づけられます。