1903年に録音された音楽

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1903年に録音された音楽

1903年は、帝国主義の力学と新しい大衆メディアが同時に加速し、「遠くへ行けること」「遠くの出来事が届くこと」が日常感覚を塗り替え始めた年でした。科学の側では、放射線現象をめぐる研究が国際的に評価され、アントワーヌ・アンリ・ベクレル(Antoine Henri Becquerel, 1852–1908)とピエール・キュリー(Pierre Curie, 1859–1906)、マリ・キュリー(Marie Curie, 1867–1934)にノーベル物理学賞が授与されます。文学ではビョルンスターネ・ビョルンソン(Bjørnstjerne Bjørnson, 1832–1910)がノーベル文学賞を受賞し、国民国家と近代的公共圏の関係が「作品」として国際流通する局面も強まりました。同時に、ウィリアム・ランダル・クレーマー(William Randal Cremer, 1828–1908)がノーベル平和賞を受け、仲裁と国際協調をめぐる理念が制度へ接続されていきます。

「移動」の象徴として、ウィルバー・ライト(Wilbur Wright, 1867–1912)とオーヴィル・ライト(Orville Wright, 1871–1948)は1903年12月17日に動力飛行を達成し、空が交通の舞台になり得ることを示しました。地上でも、H・ネルソン・ジャクソン(H. Nelson Jackson, 1877–1953)とスーウォル・クロッカー(Sewall Crocker, 1883–1913)が犬のバド(Bud)とともに1903年に自動車での米大陸横断走行を成功させ、道路網が未整備な時代に「走破」そのものがニュースになる状況を露わにします。産業の側ではヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863–1947)が1903年にフォード・モーター(Ford Motor Company)を創業し、移動のコストと時間を引き下げる量産体制へ向かう土台が置かれました。

政治と経済では、パナマが1903年11月3日にコロンビアから独立し、11月18日のヘイ=ブナウ=ヴァリラ条約によってアメリカ合衆国が地峡横断運河の建設・管理権を握ります。大西洋と太平洋を結ぶ結節点は、航路の競争を「国家が確保する通路」へと変え、パナマ運河建設(1903–1914)に向けた現実的な工程が動き出しました。帝国の周縁でも緊張が高まり、イギリスのチベット遠征(1903–1904)が「大国の境界線」が山岳地帯にまで及ぶ現実を示しました。バルカンではイルデン蜂起(1903年)が急速に鎮圧され、さらにセルビアではアレクサンダル(Alexander, 1876–1903)国王が暗殺される政変が起き、列強の思惑が交錯する地域秩序の不安定化が進みます。

社会の亀裂も露出します。ロシア帝国領キシナウ(現キシナウ)では1903年4月、反ユダヤ暴動(キシナウ・ポグロム)が国際的な衝撃を呼び、少数者迫害が「国内問題」では済まない時代に入ったことを印象づけました。同年のロシア社会民主労働党第2回大会では、組織論をめぐる対立からボリシェヴィキとメンシェヴィキの分裂が表面化し、亡命政治家たちのネットワークが世界史の震源になり得ることが示されます。英国ではエメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst, 1858–1928)らが女性社会政治同盟(WSPU)を1903年に結成し、参政権運動が「言葉」から「行動」へと変調していきます。

こうした変化は娯楽の形にも現れます。ツール・ド・フランスが1903年に創設され、新聞とスポーツが結びついて大衆の熱狂を連日生産するモデルが成立しました。ツールはアンリ・デグランジュ(Henri Desgrange, 1865–1940)の新聞企画として始まり、初回優勝はモーリス・ガラン(Maurice Garin, 1871–1957)でした。アメリカでは1903年10月に近代的なワールドシリーズが実施され、ボストン・アメリカンズがピッツバーグ・パイレーツを破って、都市間競争を“同じ物語”として共有する興行の枠を強めます。映像ではエジソン社が『大列車強盗』(1903年)を公開し、短い上映時間の中で連続場面と衝撃的な見せ場を組み立てることで、「物語映画」を娯楽市場へ定着させました。一方で、シカゴのイロコイ劇場火災(1903年12月30日、死者602人)は、大量集客の娯楽が安全工学と不可分であることを痛烈に示し、都市の娯楽産業が規制と技術の両面で組み替えられていく契機となります。音と映像、移動と通信、政治と市場が絡み合い、複製され配布され共有される大衆文化の前提が、1903年にいっそう濃くなっていきます。