1904年7月に録音された音楽
1904年7月は、国際社会の緊張と大衆文化の「国際化」が同時に進んだ月でした。アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスでは、セントルイス1904オリンピック競技大会(St. Louis 1904 Olympic Games)が1904年7月1日に開幕し、同年11月23日までの長期日程で開催されました。アメリカ合衆国の国内政治では、1904年7月6日–10日に民主党全国大会(1904 Democratic National Convention)が同市で開かれ、大統領候補にアルトン・ブルックス・パーカー(Alton Brooks Parker, 1852–1926)らを指名しました。文化面では、チリの詩人パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda, 1904–1973)が1904年7月12日に生まれ、同時期に欧州文学界ではアントン・チェーホフ(Anton Chekhov, 1860–1904)が1904年7月14/15日に死去しています。政治暴力も顕在化し、ロシア帝国の内務大臣ヴャチェスラフ・コンスタンチノヴィチ・プレーヴェ(Vyacheslav Konstantinovich Plehve, 1846–1904)が1904年7月28日にサンクトペテルブルクで暗殺され、帝政ロシアの不安定さを象徴する出来事となりました。
この月の確認されている録音:0曲
1904年7月の録音に関する情報のまとめ
1904年7月は、円筒レコードの商業流通が「毎月の新譜(番号・題名・編成)」として体系的に案内され、同時に海外市場向けの録音制作・供給体制も整備されていく局面が一次資料から確認できます。具体的には、エジソン・フォノグラフ・マンスリー(The Edison Phonograph Monthly)1904年7月号(1904年7月、Vol. II, No. 5)が、(1)1904年7月出荷予定の新譜(エジソン金型成形レコード)を番号付きで告知し、(2)1904年7月16日までの価格・取引条件を明示し、(3)メキシコシティに録音拠点(レコード工場)を設置して現地レパートリーの収録を進める方針を報じています。いずれも、当月に一次資料で確認できる「録音制作/流通」に直結した事実です。
エジソン金型成形レコードの1904年7月新譜(出荷予定)の告知
エジソン・フォノグラフ・マンスリー(The Edison Phonograph Monthly)1904年7月号は、「1904年7月の新譜(エジソン金型成形レコード)」のアドバンス・リストを掲載し、1904年7月1日頃の出荷を前提に、卸(ジョバー)と小売(リテール・ディーラー)の発注タイミングを案内しています。リストには、軍楽(例:日本の戦争行進曲として紹介される曲名)、ラグ、メドレーなど多様な題材が並び、商品番号での注文を求める形式が明記されています。
1904年7月16日までの価格・取引条件(60日予告)の提示
同号には、価格表・割引・販売条件等の変更に関する「60日予告」が掲載され、少なくとも1904年7月16日までは、エジソン金型成形レコード(Edison Gold Moulded Records)が1枚50セント(または12枚5ドル)である旨など、当面の条件が明示されています。これにより、1904年7月時点で「価格・条件変更が予告されつつも、期限までは現行条件で運用されていた」ことが一次資料で確認できます。
メキシコシティにおける録音拠点の設置とメキシコ音楽レパートリー収録
エジソン・フォノグラフ・マンスリー(The Edison Phonograph Monthly)1904年7月号は、メキシコシティにレコード工場(録音拠点)を設置し、現地の声楽・器楽を収録していくこと、そしてマスター(原盤に相当する工程上の基礎記録)をアメリカ合衆国内の拠点へ送って金型成形工程で製品化する流れを報じています。これは、1904年7月時点で、国境をまたぐ録音制作と製造の分業が具体的に進んでいたことを示す一次情報です。
