1906年7月に録音された音楽

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1906年7月に録音された音楽

1906年7月6日、スイスのジュネーヴで戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する条約(Convention for the Amelioration of the Condition of the Wounded and Sick in Armies in the Field)が署名され、1864年の枠組みを補強する国際人道法の改訂が進みました。7月12日にはフランスでアルフレッド・ドレフュス(Alfred Dreyfus, 1859–1935)の更生が確定し、国内政治と司法の緊張が一つの決着点を迎えます。ロシア帝国では7月、ニコライ2世(Nicholas II, 1868–1918)がピョートル・ストルイピン(Pyotr Arkadyevich Stolypin, 1862–1911)を首相に据えたうえで第一国家会議(国会)を解散し、革命後の議会政治は強権的に再編されました。経済面では、1906年4月のサンフランシスコ地震・火災の保険金支払いが7月以降に本格化し、国際金融(とくに金の移動)へ波及する伏線となります。文化・社会では、1906年7月1日にポルトガルでスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル(Sporting Clube de Portugal)が創設され、都市の大衆娯楽としてのスポーツクラブ文化が強まっていきました。

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1906年7月の録音に関する情報のまとめ

1906年7月の録音産業まわりでは、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)が北米の流通(ジョバー)を集めた行事をニューヨークおよびニュージャージー州オレンジで実施する準備が報じられ、販売網の結束を重視する姿勢が見えます。同時期の業界紙では、コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)の支店動向や新機種展示など、機器流通の話題も扱われています(ただし、個別録音の収録日・マトリクス等が1906年7月に確定する一次資料は、この範囲の資料上では確認できません)。

ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)のジョバー招待行事(1906年7月17日–20日)

業界紙『トーキング・マシン・ワールド(The Talking Machine World)』1906年の紙面では、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)が1906年7月17日–20日に、ニューヨークとニュージャージー州オレンジで北米のジョバーを招く行事を企画していること、宿泊拠点としてウォルドーフ=アストリア・ホテル(Waldorf-Astoria Hotel)を用いることなどが報じられています。販売網の「相互の利益」と、同社の業績拡大を背景にした記念行事という位置づけが示されています。

コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)支店での新機種展示報道

同じく『トーキング・マシン・ワールド(The Talking Machine World)』1906年の紙面に、コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)のシカゴ支店で「Type B. M. graphophone」に言及した展示報道が見られます。これは当時の流通現場で、機器の新モデルが店頭・支店展示を通じて訴求されていたことを示す材料になります(ただし、この記述だけでは発売日や仕様の確定情報まで一義的に固定できません)。

ディスク機向け家庭用録音装置「Land-O-Phone home recorder」言及

同紙には、ディスク機向けの家庭用録音装置として「Land-O-Phone home recorder」に触れる記述も見られます。1906年時点で、再生だけでなく家庭側での録音・自家制作を志向する周辺機器が流通で話題化していたことが確認できます(製品の詳細仕様・発売月の確定には、別の一次資料が必要です)。