1911年に録音された音楽

この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

1911年に録音された音楽

1911年は、帝国の境界線がきしみ、同時に大衆社会の制度がかたちを取り始めた年です。国際政治では、ドイツ帝国が砲艦パンター号(SMS Panther)をモロッコのアガディールへ派遣して緊張が高まった第二次モロッコ危機(Second Moroccan Crisis)/アガディール危機(Agadir Crisis)が、列強対立をいっそう先鋭化させました。地中海ではイタリア王国が北アフリカ獲得を狙ってオスマン帝国と伊土戦争(Italo–Turkish War, 1911–1912)に踏み出し、植民地戦争の局面が更新されます。東アジアでは武昌起義(Wuchang Uprising)を端緒とする辛亥革命(Xinhai Revolution, 1911–1912)が清朝の統治を揺さぶり、スン・ヤトセン(Sun Yat-sen, 1866–1925)やユアン・シーカイ(Yuan Shikai, 1859–1916)の政治過程を通じて共和政への転換が加速しました。ロシア帝国では首相ピョートル・ストルイピン(Pyotr Stolypin, 1862–1911)がキエフで狙撃され、改革と反動のせめぎ合いが露わになります。英領インドではデリー・ダルバール(Delhi Durbar, 1911年)においてジョージ5世(George V, 1865–1936)が首都移転(カルカッタからデリーへ)を宣言し、帝国統治の象徴空間が組み替えられました。

社会史の面では、ニューヨークのトライアングル・シャツウエスト工場火災(Triangle Shirtwaist Factory fire, 1911年3月25日)が安全規制と労働法制の転機となり、都市の成長が生む危険が可視化されます。英国では国民保険法(National Insurance Act 1911)が成立し、疾病・失業に対する拠出型保障という「近代福祉国家」の骨格が制度化へ向かいました。米国では州レベルで女性参政権が拡大し、カリフォルニア州での採択(1911年)は西部を中心とする参政権運動の前進として記憶されます。産業と統治を支える思想としては、フレデリック・ウィンズロー・テイラー(Frederick Winslow Taylor, 1856–1915)の『The Principles of Scientific Management』(1911年)が、効率・規格化・測定という語彙を広域に流通させました。

科学と技術も、見えないものの輪郭を描き直します。ハイケ・カメルリング・オネス(Heike Kamerlingh Onnes, 1853–1926)は極低温実験で超伝導(superconductivity)を発見し、物質の電気的性質に新しい地平を開きました。アーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford, 1871–1937)は原子核を中心に据える原子モデル(Rutherford model)を提示し、原子観を更新します。企業史の側ではチャールズ・ランレット・フリント(Charles Ranlett Flint, 1850–1934)が複数企業を統合してComputing–Tabulating–Recording Company(CTR, 1911年)を成立させ、計測・集計・記録を担う情報処理産業が大規模化していく基盤が築かれました。極地探検ではロアール・アムンセン(Roald Amundsen, 1872–1928)が1911年12月14日に南極点へ到達し、観測と移動技術の総力戦としての探検が世界的ニュースになります。

文化の側でも「世界が狭くなる」感覚が強まりました。ルーヴル美術館(Musée du Louvre)から『モナ・リザ』(Mona Lisa)が盗まれ、情報と噂が国境を越えて増幅するメディア時代の性格が露呈します。南米アンデスではハイラム・ビンガム3世(Hiram Bingham III, 1875–1956)がマチュ・ピチュ(Machu Picchu)の科学的調査を開始し、古代遺跡が世界史の舞台へ再接続されました。音楽ではグスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860–1911)が没し、同年初演のイーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882–1971)『ペトルーシュカ』(Petrushka, 1911年)が近代のリズム感覚を鮮明化します。同時期の録音・再生文化ではディスクの優勢が強まり、家庭鑑賞を前提にした機器とソフトの競争が、音楽を「その場」から「持ち運べる経験」へと変えていきました。