1914年8月に録音された音楽
1914年8月は、ヨーロッパの外交危機が全面戦争へ転じ、政治・軍事・交通・探検の各分野が同時に大きく動いた月でした。8月1日–4日にかけてドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、フランス共和国、ロシア帝国、グレートブリテン及びアイルランド連合王国が相次いで参戦し、4日にはドイツ帝国のベルギー王国侵攻を受けて、アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson, 1856–1924)が中立を宣言しました。15日にはパナマ運河(Panama Canal)が正式に開通し、23日には日本がドイツ帝国に宣戦して、戦争は東アジアと太平洋にも拡大しました。西部戦線ではモンスの戦い(Battle of Mons)、東部戦線ではタンネンベルクの戦い(Battle of Tannenberg)が起こり、開戦直後から大規模戦闘の被害が現実化しました。他方、5日にはアメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドで電気式交通信号機が設置され、自動車時代の都市交通管理が新段階に入りました。さらに1日にはアーネスト・ヘンリー・シャクルトン(Ernest Henry Shackleton, 1874–1922)が南極横断を目指してエンデュアランス号で出航しており、戦争の拡大と技術革新、探検事業が同月に併行して進んだことも、この月の特徴です。
この月の確認されている録音:0曲
1914年8月の録音に関する情報のまとめ
1914年8月の録音業界では、戦時の国際不安が広がる一方で、アメリカ合衆国市場ではディスクとシリンダーの流通整備、新譜供給方式の見直し、販売網の拡張、実演販売の強化が同時に進んでいました。8月当月の一次資料・同時代業界資料で比較的はっきり確認できるのは、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)系の新譜供給制度改編、コロンビア・グラフォフォン・カンパニー(Columbia Graphophone Company)の西海岸流通網の伸長、ヴィクター・トーキング・マシン・カンパニー(Victor Talking Machine Company)系製品の街頭実演と都市需要、そして有力販売会社による大規模な実演体制の整備です。反対に、今回確認した範囲では、1914年8月における各社の新録音実施日そのものを一律に確定できる資料は限られており、販売・流通・実演面の記録のほうが豊富でした。以下では、8月当月の資料上で活動を確認できた会社のみを取り上げます。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、1914年8月時点でシリンダーとディスクの両系統を同時に押し進める姿勢が明瞭です。『Edison Phonograph Monthly』8月号では、ブルー・アンベロール(Blue Amberol)を小売店の販売促進装置として位置づけ、一般商店、薬局、歯科医・医師の待合室、音楽店、汽船会社、理髪店などを新しい販路候補として具体的に列挙しています。また同号では、8月のアドヴァンス・リストから毎月の完全アルファベット順ブルー・アンベロール一覧を継続掲載すると告知しており、月次の新譜把握と販売現場の在庫運用を改善しようとしていたことが分かります。さらに『The Talking Machine World』1914年8月15日号では、エジソン・ディスクの流通方法を改め、6曲単位の週刊補充方式に切り替える新制度が報じられており、流行曲をより早く市場へ出し、公平な州別発売日を設定する方針が示されていました。1914年8月のエジソンは、単に商品を売るだけでなく、供給制度そのものを作り替えていた月とみてよさそうです。
- https://archive.org/download/edisonphonograph12moor/edisonphonograph12moor.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1914-08.pdf
コロンビア
コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は、1914年8月15日付『ザ・トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)で、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル、スポケーンなど西部の卸売・販売拠点を掲げており、同月時点で西海岸の流通網を維持していたことが確認できます。さらに同号のロサンゼルス通信では、同社ロサンゼルス卸売部門で商品が順調に動いており、とくに高級機が南カリフォルニアの有力家庭へ相当数納入されていること、近隣町でも新規代理店が増えていることが報じられました。加えて、音楽出版者ヘンリー・ウォーターソン(Henry Waterson, 生没年不明)は1914年8月13日にコロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)と契約を結び、のちのリトル・ワンダー(Little Wonder)計画がこの時点で成立しました。ただし、同計画の録音開始は1914年9月10日ごろと推定されているため、1914年8月の段階では録音実施ではなく、契約・企画面の動きとして扱うのが適切です。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1914-08.pdf
- https://mainspringpress.org/wp-content/uploads/2026/01/ARCAP_2nd-ed.pdf
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)については、1914年8月15日付『ザ・トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)から、街頭実演と夏季販売の強さが確認できます。同号のコーパスクリスティ通信では、現地販売店が祝典の山車にヴィクトローラ(Victrola)を載せ、交差点ごとに最新ダンス曲を流しながら職業ダンサーに実演させたことが報じられており、ダンス需要と機械販売を直結させる宣伝法が用いられていました。またミルウォーキー通信では、ヴィクター製品を扱う販売店の7月–8月売上が前年の二倍超であったとされ、ロサンゼルス通信でも大型ヴィクトローラの販売が好調と報じられています。8月中の新録音実施日そのものは今回確認資料では確定できませんが、製品需要と公開実演が非常に目立つ月だったことは確かです。
サザン・カリフォルニア・ミュージック
サザン・カリフォルニア・ミュージック社(Southern California Music Company)は製造会社ではありませんが、1914年8月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)で大規模販売会社として詳述されており、当月の活動確認が最も明瞭な一社です。同社はロサンゼルス、サンディエゴ、リヴァーサイドに拠点を持ち、ロサンゼルス本店では十八の防音販売室を備え、サンディエゴでも八つの販売・実演室を運営していました。さらに同号では、新聞広告に加え、リサイタル、マチネー、ダンス催しを系統的に行っていたこと、火曜と金曜の午後2時–4時のマチネーには三百–五百人規模の来場があったことが記されています。1914年8月の録音産業は、製造会社だけでなく、このような大規模販売会社が実演と集客を通じて需要を押し広げていたことも重要です。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1914-Vol-12.pdf
- https://archive.org/stream/edisonphonograph12moor/edisonphonograph12moor_djvu.txt
