1915年6月に録音された音楽
1915年6月は、第一次世界大戦の長期化が進むなかで、戦線の拡大と政治・文化の変化が同時に進んだ月でした。ロンドンでは6月にドレ・ギャラリー(Doré Galleries)でヴォーティシズム(Vorticism)の最初の展覧会が開かれ、前衛芸術が戦時下の都市文化の一断面を示しました。アイスランドでは6月19日に40歳以上の女性へ国政選挙権と被選挙権が認められ、デンマークでも同じ6月に女性参政権を含む憲法改正が実現しました。アメリカ合衆国では6月21日、アメリカ合衆国連邦最高裁判所(Supreme Court of the United States)がグイン対アメリカ合衆国事件(Guinn v. United States)で「祖父条項」を違憲と判断し、選挙権制限の一制度に歯止めをかけました。さらに6月23日には第一次イゾンツォの戦い(First Battle of the Isonzo)が始まり、イタリア戦線は本格的な消耗戦へ入りました。1915年6月は、戦争の激化と並行して、参政権拡大、司法判断、前衛芸術の公開が各地で進んだ月として位置づけられます。
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1915年6月の録音に関する情報のまとめ
1915年6月の録音関連企業では、生産設備の増強、卸区域の再編、新店舗計画、博覧会会場を使った実演と販促が同時進行していました。とくにトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)系の卸網拡大、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)とパテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Co.)の設備拡張、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)の販売網拡大が目立ち、6月は需要増に対応するための企業活動が各地で確認できる月でした。
パシフィック・フォノグラフ
1915年6月号によれば、パシフィック・フォノグラフ社(Pacific Phonograph Co.)は、グレーヴズ・ミュージック社(Graves Music Co.)が扱っていたポートランドとスポケーンのトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)製品の卸区域を加え、太平洋岸での担当範囲を大きく広げました。さらに7月号のサンフランシスコ記事では、同社首脳のA・R・ポンマー(A. R. Pommer, 生没年不明)が6月上旬に北西部出張から戻り、ポートランドのブレイク=マクフォール・ビル(Blake-McFall Building)5階とスポケーンの第一街1022番地に支店卸拠点を整え、両地に在庫を入れて外勤員を動かし始めたことが確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-06.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-07.pdf
パーディー=エレンバーガー
1915年6月7日付の記事では、パーディー=エレンバーガー社(Pardee-Ellenberger Co.)がコネチカット州ニューヘイブンのチャペル街962–964番地に入る新建物計画をまとめたと報じられました。この建物はエジソン・ダイヤモンド・ディスク・フォノグラフ(Edison Diamond Disc Phonograph)の有力拠点として構想され、個別実演室、防音ブース、連続実演や録音歌手の比較リサイタルに使う大きな演奏室を備える計画で、1915年6月時点の販売体制強化を示す動きでした。
ヴィクター
1915年6月号は、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)のカムデン工場で新建物の建設が急速に進み、需要の急増によって未納注文が会社史上最大水準に達していると伝えています。あわせて7月号では、パナマ=パシフィック万国博覧会(Panama-Pacific International Exposition)のヴィクター・テンプル(Victor Temple)前で6月24日に行われた舞踊実演が2,000人超を集め、その後も会場に満員の来場者を呼び込んだことが記されており、同社が6月に生産拡大と実演販促を並行して進めていたことがわかります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-06.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-07.pdf
コロムビア
1915年6月のクリーブランド記事では、ストーリー=クラーク・ピアノ社(Story & Clark Piano Co.)がコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)製品を新たに加え、従来扱っていたトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)とパテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Co.)の製品とあわせて全店で扱うようになったと報じられました。さらに7月号のサンフランシスコ記事では、パナマ=パシフィック万国博覧会(Panama-Pacific International Exposition)のコロムビア・ブースで続けられていた舞踏競技の決勝が6月26日に開かれ、110ドル機が賞品として授与されたことが確認でき、6月中の販促活動も活発でした。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-06.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-07.pdf
ザ・フォノグラフ
1915年6月8日付のクリーブランド記事では、クリーブランドのザ・フォノグラフ社(The Phonograph Co.)が好調な月を報告し、北オハイオで進めていた二か月間の実演キャンペーンを完了したことが記されています。このキャンペーンではトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の訓練を受けた20人が学校、教会、工場、各種団体で900回の実演を行い、同社は前年同月比30パーセント増の成果があったと述べています。
デトロイト・ミュージック
1915年6月9日付のデトロイト記事では、デトロイト・ミュージック社(Detroit Music Co.)がコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)製品の取扱いを開始し、5月27日に最初の荷が一部到着した段階で、陳列準備中の来店客が150ドル機をその場で選んで購入したと報じられました。記事の主眼は6月初旬の新規導入そのものであり、同社がこの時期にピアノ店から蓄音機・レコード取扱店へ業態を広げていたことを示しています。
クルエット&サンズ
1915年6月8日付のオールバニ記事によれば、クルエット&サンズ社(Cluett & Sons)は、イオリアン社(Aeolian Co.)のヴォカリオン(Vocalion)と、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)の機械・レコード一式を自店と州内各店で扱う契約をまとめました。新築中の建物でこの二系統を展示できる見通しも示されており、1915年6月時点で有力ピアノ商が複数ブランドを並行導入する流れの一例として重要です。
パテ
1915年6月号では、パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Co.)がニュージャージー州ベルビルの新工場を取得し、レコード圧盤工場として稼働準備を進めていることが確認できます。あわせて同号には、同社が日曜紙広告でニューヨーク近郊の取扱店名を前面に出しながら販促を行っていた記事もあり、1915年6月のパテは生産能力の増強と販売支援を同時に進めていました。
フィッシャー・ピアノ
1915年6月8日付のクリーブランド記事では、フィッシャー・ピアノ社(Fischer Piano Co.)がパテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Co.)製品の販売で好成績を挙げ、200ドル機の売行きが良く、旧型機からの買い替えも多いと報じられました。記事は同社が市内に二つの販売拠点を持っていたことも記しており、1915年6月のパテ製品が地方市場でも上位価格帯を含めて浸透していたことを示します。
