1923年4月に録音された音楽

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1923年4月に録音された音楽

1923年4月は、戦後秩序の不安定さと大衆文化の拡大が並行して進んだ月でした。ドイツではルール占領の影響が続き、通貨不安と物価上昇が深まり、経済混乱はさらに拡大していきました。アイルランド自由国では、ショーン・オケーシー(Seán O’Casey, 1880–1964)の『銃をもつ影』(The Shadow of a Gunman)が4月12日にダブリンのアビー劇場(Abbey Theatre)で初演され、内戦直後の社会を描く現代劇が強い反響を呼びました。アメリカ合衆国では4月18日にヤンキー・スタジアム(Yankee Stadium)が開場し、英国では4月28日のフットボール・アソシエーション・カップ決勝がウェンブリー・スタジアム(Wembley Stadium)の最初の大規模行事となりました。音楽と記録文化の面では、英国の『ザ・グラモフォン』(The Gramophone)創刊号が4月に出され、レコードを継続的に論じる専門媒体が新たな読者層を得はじめました。映画産業では、ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ社(Warner Bros. Pictures, Inc.)が4月4日に正式に設立され、のちのアメリカ映画産業を支える一角がこの月に形を整えました。

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1923年4月の録音に関する情報のまとめ

1923年4月の録音業界では、各社が同時に同じ方向へ動いていたわけではなく、地域販路の拡張、人気楽団を使った広告強化、新録音の投入、専属契約の獲得などが会社ごとに異なる形で進んでいました。販売会社を通じた地方市場への浸透もあれば、都市の人気楽団を前面に出した販促もあり、また新しいジャズ録音や黒人歌手の発売盤が市場に現れた例も確認できます。1923年4月は、量産と全国流通の時代に入りつつあったアメリカ録音産業が、地域性と新しい大衆音楽の両方を抱えながら拡大していたことを示す月でした。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)の製品は、1923年4月にブッシュ・アンド・ガーツ・ピアノ社(Bush & Gerts Piano Co.)の販促記事を通じて、地方市場への巡回販売の文脈で確認できます。『The Talking Machine World』4月号では、同社が「Bungalow Shop on Wheels」を使って農村部に働きかけ、ブランズウィックの蓄音機とレコードを車載展示で訴求していたことが報じられており、都市部だけでなく地方販売網の拡張が当月の重要な動きでした。

ジェネット

スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)では、1923年4月5日にインディアナ州リッチモンドで、ジョー・“キング”・オリヴァー(Joe “King” Oliver, 1885–1938)の楽団が録音を開始しました。この録音は、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)にとって最初の商業録音として知られ、ジェネットが当月に新しいジャズの中心的記録を残したことを示します。会社の動きとして見れば、ジェネットはこの時点で地域スタジオを使いながら、後世のジャズ史に大きな位置を占める演奏家を実際に商品化していたことになります。

ヴォカリオン

エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)では、アルバート・E・ショート(Albert E. Short, 生没年不明)とその楽団がこの時期に専属契約を結び、1923年5月発売盤へつながる録音を進めていました。後年のディスコグラフィでは、1923年5月5日付『Music Trade Review』を引いて、ショートの楽団がヴォカリオン専属として録音したことが示されており、4月の段階で同社がダンス音楽の新しい陣容を整えていたことが読み取れます。4月そのものの発売よりも、専属化と録音準備が当月の企業活動として重要です。

オーケー

ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corp.)のオーケー・レコード(Okeh Records)では、ヴィンセント・ロペス(Vincent Lopez, 1895–1975)を前面に出した販促が1923年4月号の業界紙で確認できます。『The Talking Machine World』4月号には「Vincent Lopez Get Big Boost」「Effective Okeh …」という見出しが見え、ホテル・ペンシルベニア・オーケストラの知名度を活用した広告がオーケーの販売戦略として機能していたことが分かります。4月のオーケーは、新しい録音レパートリーの拡充だけでなく、人気楽団を軸にした市場訴求を強めていました。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)では、レオナ・ウィリアムズ(Leona Williams, 生没年不明)の Columbia A3815 が、コロムビア社内ファイルを用いた後年ディスコグラフィで1923年4月発売とされています。伴奏にはオリジナル・メンフィス・ファイヴ(Original Memphis Five)が変名で関与したとされ、この盤は黒人歌手と白人ジャズ奏者の混成による発売事例としても重要です。録音日の断定はできませんが、4月の発売段階で、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)がこうした編成の商品を市場に出していたことは確認できます。