1927年に録音された音楽

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1927年に録音された音楽

1927年は、戦間期の国際秩序が揺れつつも、通信・輸送・娯楽の基盤が一気に近代化していく年でした。ラジオと映画が「同時代の出来事」を家庭へ運び、長距離移動と大量生産が生活の速度を押し上げ、科学は世界観そのものを更新していきます。

放送の制度化を象徴するのが、英国放送協会(British Broadcasting Corporation)が王室憲章に基づく公共法人として1927年1月1日に発足したことです。初代総裁のジョン・リース(John Reith, 1889–1971)が掲げた公共目的は、娯楽だけでなく教育・報道を含む「全国的なメディアの規範」を形づくりました。通信面では、1927年1月7日にニューヨーク–ロンドン間の大西洋横断電話の商用サービスが始まり、音声の即時性が海を越えて現実のインフラになります。米国では放送網の拡大が進み、のちにコロンビア放送システム(Columbia Broadcasting System)へつながるネットワークが1927年に動き出していきました。

娯楽産業では、映画が「無声」から「音声」へと重心を移し始めます。1927年10月6日に公開された『ジャズ・シンガー』(The Jazz Singer)は、同期録音の活用によってトーキー時代を決定づけた作品として語られます。また映画界の職能と産業を組織化する動きとして、映画芸術科学アカデミー(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)が1927年に設立され、評価制度と産業の自己記述が整備されていきました。こうした「音声メディアの統合」は、演奏・歌唱が放送と映画を通じて標準化され、国境を越えて流通する条件を強めていきます。

一方で、社会と政治は鋭く緊張しました。中国では国共関係が決裂へ向かい、チャン・カイシェク(Chiang Kai-shek, 1887–1975)ら国民党(Kuomintang)勢力による上海での弾圧が1927年4月に起き、同月18日には南京で国民政府が樹立されます。米国では移民・労働・治安をめぐる不信が高まり、ニコラ・サッコ(Nicola Sacco, 1891–1927)とバルトロメオ・ヴァンゼッティ(Bartolomeo Vanzetti, 1888–1927)が1927年8月23日に処刑された事件は、法と世論の亀裂を国際的論争へ拡大させました。日本では昭和金融恐慌が1927年3月に表面化し、片岡直温(1859–1934)の議会での失言を契機に取付け騒ぎが連鎖し、若槻礼次郎(1866–1949)内閣の退陣へつながります。

自然災害もまた国家を試しました。米国南部ではミシシッピ川流域で1927年4月–5月に大洪水が発生し、広域の浸水と大規模な避難・救援を生みます。商務長官ハーバート・フーヴァー(Herbert Hoover, 1874–1964)は救援調整で全国的注目を集め、災害対応が政治的資本になり得ることも示しました。

技術と移動の面では、チャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh, 1902–1974)が1927年5月20日–21日にニューヨークからパリへ単独無着陸で大西洋横断飛行を成功させ、航空は冒険から実用へと想像力を更新します。都市インフラではホランド・トンネル(Holland Tunnel)が1927年11月13日に開通し、自動車交通を前提にした地下・水底の技術が都市圏を再編しました。自動車産業でもフォード・モーター・カンパニー(Ford Motor Company)がヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863–1947)とエドセル・フォード(Edsel Ford, 1893–1943)によりモデルAを1927年12月2日に発表し、大衆消費の中心としての「移動手段」を刷新します。記念碑的造形の領域でも、ガッツン・ボーグラム(Gutzon Borglum, 1867–1941)によるマウント・ラシュモア(Mount Rushmore)の彫刻が1927年10月4日に始まり、公共空間における国家像の可視化が進みました。

科学では、ヴェルナー・ハイゼンベルク(Werner Heisenberg, 1901–1976)が1927年に不確定性原理を提示し、観測と実在の関係をめぐる議論を決定的に前へ進めました。その議論はブリュッセルで1927年10月24日–29日に開かれた第5回ソルベー会議(Solvay Conferences)で、ニールス・ボーア(Niels Bohr, 1885–1962)とアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)らの応酬として可視化されます。さらに映像技術でも、ファイロ・ファーンズワース(Philo Farnsworth, 1906–1971)が1927年9月7日に電子式テレビジョンの送信実験に成功し、音声に加えて映像が遠隔へ運ばれる時代の入口が開かれました。

こうして1927年は、政治的不安・災害・金融不安と並走しながら、放送・映画・通信・輸送が結び付いて「同時代性」を増幅させた年です。音が標準化され、視聴の場が家庭へ移り、移動と消費が加速する条件が整ったことは、録音物と大衆音楽が世界規模で浸透していく前提にもなりました。