1928年12月に録音された音楽

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1928年12月に録音された音楽

1928年12月は、12月1日にチリで1928年タルカ地震(1928 Talca earthquake)が発生し、タルカとコンスティトゥシオンを中心に大きな被害が出ました。12月3日にはアメリカ合衆国でクラシック音楽番組ザ・ファイアストーン・アワー(The Firestone Hour)が始まり、放送と音楽産業の結び付きがいっそう強まりました。12月10日にはノーベル賞授賞式(Nobel Prize Award Ceremony)が行われ、オーウェン・ウィランズ・リチャードソン(Owen Willans Richardson, 1879–1959)、アドルフ・オットー・ラインホルト・ヴィンダウス(Adolf Otto Reinhold Windaus, 1876–1959)、シャルル・ジュール・アンリ・ニコル(Charles Jules Henri Nicolle, 1866–1936)、シグリズ・ウンセット(Sigrid Undset, 1882–1949)らが顕彰されました。同日、ニュージーランドではジョゼフ・ジョージ・ウォード(Joseph George Ward, 1856–1930)が再び首相に就任しました。12月20日にはジョージ・ヒューバート・ウィルキンス(George Hubert Wilkins, 1888–1958)とカール・ベン・アイールソン(Carl Ben Eielson, 1897–1929)が南極飛行を行い、航空探検史の節目となりました。12月21日にはアメリカ合衆国でボルダー・キャニオン事業法(Boulder Canyon Project Act)が成立し、のちのフーヴァー・ダム建設に道を開きました。さらに12月21日–23日にはハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Clark Hoover, 1874–1964)がブラジルを訪れ、中南米親善旅行の終盤を迎えました。

この月の確認されている録音:0曲

1928年12月の録音に関する情報のまとめ

1928年12月の録音関連業界では、年末商戦に向けた携帯型蓄音機の拡販、ラジオ一体型高級機の前面化、放送番組を利用した宣伝、販売網の補強、そしてラジオ部門への本格的な再編が同時に進んでいました。この月の同時代業界資料で確認できる中心的な動きは、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)のコイン作動式機とオルソフォニック技術の防衛、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)のヴィヴァ=トーナル携帯機の訴求、ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)のパナトロープ=ラジオラ高級機の押し出し、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)の放送連動宣伝、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)の販路整備、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)のスプリットドルフ・ラジオ社(Splitdorf Radio Corporation)への関与強化でした。したがって、1928年12月の録音産業は、新譜供給だけでなく、再生装置・販売網・ラジオ部門を含めた総合的な事業再編の月として見ることができます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、1928年12月の業界誌で、新しいコイン作動式オルソフォニック・ヴィクトローラの投入を打ち出していました。同じ月には、ヴィクター・トーキング・マシン・オブ・カナダ社(Victor Talking Machine Co. of Canada, Ltd.)が、オルソフォニック・ホーンの使用権をめぐってカナダ大蔵裁判所(Exchequer Court of Canada)で権利を維持したことも報じられており、この時期の同社は販売面と権利保全面の両方で動いていました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1928年12月の業界誌でヴィヴァ=トーナル・コロムビア・ポータブル(Viva-tonal Columbia Portable)の50ドル機を前面に出していました。この月の同社は、電気録音再生の長所を据置機だけでなく携帯型にも広げ、価格帯の異なる携帯機をそろえることで、年末需要を幅広く取り込もうとしていました。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、1928年12月の業界誌でパナトロープ=ラジオラ第148号機(Panatrope-Radiola Model 148)を995ドル機として示し、同時に25ドル–995ドルの製品帯を訴求していました。これは、廉価機から高級ラジオ蓄音機までを一続きの商品群として見せる年末販売戦略であり、レコード、蓄音機、ラジオを同じ売場で回転させる構想が明確に表れていました。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)は、1928年12月6日のソノラ・フォノグラフ・アワー(Sonora Phonograph Hour)を通じて、自社名を冠した放送宣伝を行っていました。この放送では、ソノラ交響楽団(Sonora Symphony Orchestra)、ピカドーズ(Picadors)、ソノラ・メイル・トリオ(Sonora Male Trio)などが紹介されており、同社がレコードや機械の販売だけでなく、放送を利用したブランド露出にも力を入れていたことが確認できます。

オーケー

オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)については、1928年12月の『ザ・トーキング・マシン・ワールド(The Talking Machine World)』のシカゴ欄に、新たなジョバー任命の記事が掲載されています。この記事からは、オットー・ハイネマン(Otto Heineman)率いる同社が、年末商戦に向けて販売網の整備を続けていたことが読み取れます。したがってこの月の同社は、録音物そのものの供給だけでなく、流通経路の補強を通じても市場対応を進めていました。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、1928年12月1日付の業界誌で、スプリットドルフ・ラジオ社(Splitdorf Radio Corporation)に「substantial interest」を取得したと報じられています。記事では、同社製品を年末までに市場から引き上げ、以後は支配会社向けのラジオ機器製造にほぼ専念する方針と、新役員としてチャールズ・エジソン(Charles Edison, 1890–1969)が会長に就くことが示されており、この月の同社が蓄音機・レコード事業に加えてラジオ製造再編を進めていたことは明白です。