1929年に録音された音楽
1929年は、戦間期の「安定」を支えていた制度や市場の足場が、政治・経済・メディアの同時進行で揺らいだ転換点です。年初、アメリカ合衆国ではハーバート・フーヴァー(Herbert Hoover, 1874–1964)が1929年3月4日に大統領へ就任し、繁栄の継続が期待されました。一方、ヨーロッパでは1929年5月30日のイギリス総選挙が宙づり議会を生み、ラムゼイ・マクドナルド(Ramsay MacDonald, 1866–1937)が1929年6月5日に少数与党内閣を組織します。同じ年、イタリア王国と教皇庁の「ローマ問題」を決着させたラテラノ条約(Lateran Treaty)は1929年2月11日に調印され、ヴァチカン市国(Vatican City)という主権国家の枠組みが確定しました。こうした政治秩序の再編は、国家の正統性や国境線だけでなく、国際世論の編成にも影響し、ラジオやニュース映画が「同時代」を共有する回路として重みを増していきます。
国際社会は、戦争の回避と危機管理を制度化しようともしました。戦争放棄条約(General Treaty for Renunciation of War as an Instrument of National Policy、通称ケロッグ=ブリアン条約)は1929年7月24日に発効し、国家が戦争を政策手段として否認するという理念を掲げます。また、捕虜の待遇に関する条約(Convention relative to the Treatment of Prisoners of War)は1929年7月27日にジュネーヴで署名され、人道規範の国際的整備が前進しました。しかし、現実の緊張は各地で先鋭化します。北米では、禁酒法時代の組織犯罪抗争がセント・バレンタインデーの虐殺(1929年2月14日)として可視化され、アル・カポネ(Al Capone, 1899–1947)やジョージ・“バグズ”・モラン(George “Bugs” Moran, 1891–1957)らの名が世論を騒がせました。東アジアでは、満洲の東清鉄道(Chinese Eastern Railway)をめぐる中ソ武力衝突(1929年)が発生し、地域秩序の脆弱さが露呈します。日本でも、田中義一(1864–1929)内閣が1929年7月2日に総辞職し、政党政治と軍部の緊張が表面化していきました。さらに、英領インドではインド国民会議がラホールで「完全独立」(Purna Swaraj)を採択し、ジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru, 1889–1964)やマハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869–1948)らの運動が次段階へ進みます。
経済面では、賠償問題の最終調整としてヤング案(Young Plan)がハーグ会議(1929年8月6日–8月31日)で検討・採択され、欧州金融の設計が試みられました。けれども、その土台を突き崩したのがニューヨーク証券取引所(New York Stock Exchange)を起点とする1929年10月の株価急落です。10月24日(いわゆる「暗黒の木曜日」)から10月29日(「暗黒の火曜日」)にかけて市場の混乱が連鎖し、信用不安が世界へ波及する入口となりました。こうした激震の一方で、科学と技術は遠い地平を切り拓きます。天文学ではエドウィン・ハッブル(Edwin Hubble, 1889–1953)が1929年に銀河の距離と後退速度の関係を論文として提示し、宇宙の膨張という理解を観測事実の側から強固にしました。航空・輸送の象徴としては、硬式飛行船LZ 127グラーフ・ツェッペリン(Graf Zeppelin)が1929年8月に世界一周飛行を行い、空の長距離移動が「驚異」から「現実の計画」へ移る気配を示します。文化の側でも、映画芸術科学アカデミー(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)が主催する第1回アカデミー賞(Academy Awards)が1929年5月16日に開催され、トーキー以後の映像産業が作品評価の制度を持ち始めました。映像と音の結合、ラジオ放送網、レコード流通は相互に作用し、声・演奏・ニュースが複製され反復されることで大衆文化の速度を上げます。1929年は、その加速の只中で、世界経済の断層が同時代の表現と消費の条件を大きく塗り替えていく年でもありました。
