1928年3月に録音された音楽

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1928年3月に録音された音楽

1928年3月は、政治的弾圧、宗教運動の発足、大規模災害、航空英雄の顕彰、舞台文化の新作上演が並行して現れた月でした。日本では3月15日に三・一五事件(March 15 incident)が起こり、治安維持法を用いた大規模検挙が社会に強い影を落としました。エジプトのイスマイリアでは、ハサン・アル=バンナー(Hassan al-Banna, 1906–1949)が3月にムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)を創設し、宗教と社会運動を結ぶ新たな組織が登場しました。アメリカ合衆国カリフォルニア州では、3月12日から13日にかけてセントフランシス・ダム災害(St. Francis Dam Disaster)が発生し、20世紀アメリカの代表的土木災害の一つとなりました。3月22日には、ノエル・カワード(Noël Coward, 1899–1973)のレビュー『ディス・イヤー・オブ・グレイス』(This Year of Grace)がロンドンで開幕しました。さらにアメリカ合衆国では、チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(Charles Augustus Lindbergh Jr., 1902–1974)が1928年のアメリカ合衆国議会名誉黄金勲章受章者として顕彰され、単独大西洋横断飛行後の航空時代の象徴的存在としての位置づけをいっそう強めました。

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1928年3月の録音に関する情報のまとめ

1928年3月の録音業界では、電気録音と電気再生機を軸にした販売競争がいっそう鮮明になっていました。交換制度による旧盤整理と新盤販売、大型アルバム物の投入、教育市場向けリストの拡充、携帯型や上位型の機械訴求、輸入マトリクス活用、そして外国語盤を含む幅広い供給が同時に進んでいます。当月の同時代業界資料で活動を具体的に確認できるのは、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)です。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、1928年3月号の業界誌で、新しい二割交換制度の対象に約550点の機械吹込みレッド・シール盤を含める方針を打ち出していました。これは旧在庫整理にとどまらず、上級盤の再流通と継続購買を同時に促す施策でした。あわせて当月の『Phonograph Monthly Review』では、ヴィクター教育用リスト第4集が詳しく論じられ、グラズノフ《マリオネット》作品52第2番やフランソワ=ベンディクス《パルシフラージュ》を収めたヴィクター・コンサート・オーケストラ(Victor Concert Orchestra)の盤、さらにジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa, 1854–1932)の行進曲盤などが教育用途と一般愛好家向けの双方に訴求できる録音として扱われていました。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、交換制度と教育用レパートリーの拡張を同月に並行させていたことになります。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、3月号『The Talking Machine World』で、電気式ブランズウィック・パナトロープ(Brunswick Panatrope)モデルP-14を強く押し出していました。記事断片からは、試聴したものの購入に至っていない多数の見込み客に対しても、この機種なら販売余地があると見なされていたことが分かります。『Phonograph Monthly Review』3月号でも、ブランズウィック・パナトロープ(Brunswick Panatrope)を伴奏再生装置として用いた舞踊公演が紹介され、会場ではその音量と音質がきわめて写実的だと受け止められていました。さらに同号の批評欄では、オスカー・レヴァント(Oscar Levant, 1906–1972)とフランク・ブラック(Frank Black, 1894–1968)指揮の楽団による《ラプソディ・イン・ブルー》盤が、明晰さと力強さの点で高く評価されており、同社が機械とレコードの両面から電気時代の優位性を訴えていたことが読み取れます。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1928年カタログにおいて、ヴィヴァ=トーナル録音(Viva-tonal Recording)をウェスタン・エレクトリック社(Western Electric Company)との提携にもとづく電気録音方式として説明していました。また同カタログは、音楽名曲盤の一部が英国のコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company, Ltd.)で録音され、そのマトリクスがアメリカ合衆国へ輸入され、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)によって製造されていることも明記しています。3月号『Phonograph Monthly Review』では、同社のコロムビア・マスターワークス第79集として、ジークフリート・ワーグナー(Siegfried Wagner, 1869–1930)の総監修によるバイロイト祝祭録音が大きく扱われ、カール・ムック(Karl Muck, 1859–1940)やフランツ・フォン・ヘスリン(Franz von Hoesslin, 1885–1946)指揮のバイロイト祝祭オーケストラ(Bayreuth Festival Orchestra)の盤が、真正なバイロイト伝統を封じ込めた録音として評価されていました。さらに同月広告では、シューベルト百年祭をコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)が組織したこと、新譜のほかにダンス盤二十二点、声楽盤二十四点、ハワイアン盤十二点、二十二言語の外国語録音を用意していることが明示され、機械・ソフト・外国語盤を一体で押し出す販売姿勢が確認できます。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、1911年以後のエジソン系事業の中核会社であり、1928年3月時点の事業主体もこの社名で捉えるのが適切です。『Phonograph Monthly Review』3月号によれば、前号で発表された長時間エジソン盤はまだ批評用に到着していなかった一方、週次の新譜は引き続き多数流入していました。誌面では、エジソン・メール・コーラス(Edison Male Chorus)、アーネスト・ヘア(Ernest Hare, 1883–1939)、ウォルター・スキャンロン(Walter Scanlan, 生没年不明)、ハピネス・ボーイズ(Happiness Boys)、ピカデリー・プレイヤーズ(Piccadilly Players)、ハリー・リーザーズ・ラウンダーズ(Harry Reser’s Rounders)、ゴールデン・ゲート・オーケストラ(Golden Gate Orchestra)、フィールズ・アサシネイターズ(Fields’ Assassinators)、スティルメンズ・オーケストラ(Stillmen’s Orchestra)、アーニー・ゴールデン・アンド・ヒズ・ホテル・マカルピン・オーケストラ(Ernie Golden and His Hotel McAlpin Orchestra)などの盤が具体的に挙げられており、長時間盤への移行を進めながらも、同社が大衆歌曲、ハワイアン物、ダンス盤を継続供給していたことが分かります。

オーケー

オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、1928年3月号『Phonograph Monthly Review』冒頭広告で、ロッテ・レーマン(Lotte Lehmann, 1888–1976)、フリードリヒ・ヴァイスマン(Friedrich Weissmann, 1893–1974)指揮のベルリン国立歌劇場オーケストラ(Orchestra of the State Opera House, Berlin)、エマヌエル・フォイアーマン(Emanuel Feuermann, 1902–1942)、エディト・ローランド(Edith Lorand, 1898–1982)、ダ・ヨシュ・ベーラ・アンド・ヒズ・オーケストラ(Da Jos Bela and His Orchestra)などを掲げ、電気録音のクラシック系輸入盤を訴求していました。オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)はこの時点で、オットー・ハイネマン(Otto Heineman, 1877–1953)を社長兼総支配人として掲げつつ、ポピュラー盤だけでなく欧州系電気録音も商品群に組み込んでいたことが確認できます。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)については、1928年3月号『Radio Retailing』で、ライオン・アンド・ヒーリー・ビルへの移転が報じられています。当月の録音発売物や新録音体系を詳しく示す記述までは確認できませんが、販売・業務拠点の再編という企業活動は同月資料上で確かに確認できます。ラジオと蓄音機の併売市場が重なり合う時期だけに、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)も販路と営業基盤の整備を続けていたことがうかがえます。