1877年に録音された音楽

スポンサーリンク

1877年に録音された音楽

1877年は、国家の再編と社会の摩擦が同時に可視化された年です。アメリカ合衆国(United States of America)では、1876年の大統領選挙をめぐる混乱を受けて選挙管理委員会(Electoral Commission)が設けられ、ラザフォード・バーチャード・ヘイズ(Rutherford Birchard Hayes, 1822–1893)が1877年3月3日に私的に、同年3月5日に公的に就任しました。政治的取引として語られる1877年妥協(Compromise of 1877)と結びつけて連邦軍の南部撤退が進み、再建期(Reconstruction)の終幕を画しました。他方、賃下げと不況の圧力は労働現場に火種を残し、1877年7月中旬にはボルティモア・アンド・オハイオ鉄道(Baltimore and Ohio Railroad)を端緒とするグレート・レイルロード・ストライキ(Great Railroad Strike of 1877)が連鎖的に拡大しました。同年10月5日には、ネズ・パース戦争(Nez Perce War)においてチーフ・ジョセフ(Chief Joseph, 1840–1904)がモンタナ準州(Montana Territory)のベアーズ・ポー山地(Bears Paw Mountains)で降伏しました。

日本では、西南戦争(Satsuma Rebellion)が1877年1月29日–9月24日に展開し、西郷隆盛(1828–1877)が率いた反乱は同年9月24日の城山で終結しました。近代国家の制度整備が進むなかで、徴兵制にもとづく政府軍が動員され、輸送・通信・装備の差が勝敗を左右したとされます。ヨーロッパ南東部では、ロシア帝国(Russian Empire)が1877年4月24日にオスマン帝国(Ottoman Empire)へ宣戦布告し、ロシア・トルコ戦争(Russo-Turkish War)が始まりました。帝国間競争とバルカン地域の政治的要求が衝突し、後年の国際秩序再編へつながる緊張が高まっていきます。

科学技術の面では、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が音を記録して再生するフォノグラフ(Phonograph)の開発を進め、1877年12月24日にアメリカ合衆国特許庁(United States Patent Office)へ特許出願しました。試作完成日は1877年8月12日とされることもありますが、特許出願日との関係から1877年11月–12月に完成がずれ込んだ可能性が指摘されています。また、アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847–1922)の電話を事業化するベル電話会社(Bell Telephone Company)が1877年に形成され、音声を電気信号として遠隔に運ぶ通信網の拡大が始まりました。視覚的に音を写し取るフォノトグラフ(Phonautograph)を考案したエドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル(Édouard-Léon Scott de Martinville, 1817–1879)の系譜を踏まえると、この年は「記録できる」から「再生できる」へと段階が切り替わった転換点でもありました。宇宙の観測でも成果があり、アサフ・ホール(Asaph Hall, 1829–1907)が1877年8月に火星の衛星デイモス(Deimos)とフォボス(Phobos)を発見しています。同じく火星では、ジョヴァンニ・ヴィルジーニオ・スキアパレッリ(Giovanni Virginio Schiaparelli, 1835–1910)が1877年の観測で直線状の模様をcanaliと呼び、のちに「運河」と誤訳されたことが議論を呼びました。理論面では、ルートヴィヒ・ボルツマン(Ludwig Boltzmann, 1844–1906)が1877年の論文で確率論にもとづくエントロピーの解釈を提示し、統計力学の基礎を固めました。文化面では、グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)のウィンブルドンで1877年7月にウィンブルドン選手権(The Championships, Wimbledon)が初めて開催され、スペンサー・ゴア(Spencer Gore, 1850–1906)が男子シングルスの初代優勝者となりました。

この年の確認されている録音:1曲

12月

1877年12月は、戦場の決着と、新たな統治の枠組み、そして音の再生技術が同時に可視化された月でした。カナダ自治領(Dominion of Canada)では1877年12月4日に第7号条約(Treaty No. 7)の追加加入文書が署名されました。バルカン半島ではロシア帝国(Russian Empire)とオスマン帝国(Ottoman Empire)のロシア・トルコ戦争(Russo-Turkish War, 1877–1878)でプレヴェン包囲戦(Siege of Pleven)が1877年12月10日に終結します。技術面ではサイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)が1877年12月22日付で「ザ・トーキング・フォノグラフ(The Talking Phonograph)」を掲載し、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)のフォノグラフ(Phonograph)は1877年12月24日にアメリカ合衆国特許庁(United States Patent Office)へ特許出願されました。

12月6日

【1877年12月6日の出来事】
・ワシントン・ポスト(The Washington Post)が創刊号を発行しました(4ページ、3セント)。
・デッドウッド(Deadwood)で踊り子・ディーラーとして知られたキティ・ルロイ(Kitty Leroy)がこの日に殺害されました。
・フランスの映画俳優マルセル・レヴェスク(Marcel Lévesque, 1877–1962)がパリで誕生しました。サイレント時代の連続活劇『Les Vampires』などで知られます。