1891年4月に録音された音楽

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1891年4月に録音された音楽

1891年4月は、制度と統治の枠組みが国境を越えて整備される一方で、国家権力による排除も可視化した月でした。4月1日には関税情報を各国で共有する仕組みとして関税率公表のための国際同盟(International Union for the Publication of Customs Tariffs)が活動を開始し、商取引を支える情報インフラが動き出します。4月13日にはチリ内戦のさなか、ホルヘ・モント(Jorge Montt, 1845–1922)らがイキケで政府機構を樹立し、ホセ・マヌエル・バルマセダ(José Manuel Balmaceda, 1840–1891)政権と対峙する構図が固まります。4月14日には標章の国際登録に関するマドリッド協定(Madrid Agreement Concerning the International Registration of Marks)が結ばれ、知的財産の国際手続が制度化されました。4月22日には大槻文彦の国語辞典『言海』全4巻が完結し、言語の標準化も進みますが、4月23日にはロシア帝国(Russian Empire)がモスクワのユダヤ人居住を制限し、多数の追放を伴う措置が発動されました。

この月の確認されている録音:0曲

1891年4月の録音に関する情報のまとめ

1891年4月に限定して日付が確定できる「録音(商用録音・公開録音を含む)」の新規出来事は、今回参照した公的機関の解説資料上では確認できませんでした。一方で、1891年4月の時点の周辺状況として、蝋管(ワックス・シリンダー)による録音が、事務用途だけでなく娯楽用途へ比重を移しつつあったこと、そして大量複製の仕組みが未成熟だったために同一演目を繰り返し録音して供給量を確保する必要があったことが確認できます。また、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alve Edison, 1847–1931)に関連する企画として、蝋管を内蔵したトーキング・ドール向けの録音事業が1891年3月に区切りを迎えており、1891年4月はその直後にあたります。

蝋管録音の供給形態と複製の制約

1891年4月の時点で主流だった蝋管録音は、後年のような確立した大量複製法がまだ整っていなかったことが確認できます。そのため、同一レパートリーを多数本そろえるには、演者が同じ内容を繰り返し録音する方式に依存しやすく、供給の手間とコストが録音ビジネスの前提条件になっていました。こうした制約は、当時の録音が「複製された商品」というより「繰り返し録られて増やされた在庫」として成立していた面を示します。

硬貨投入式フォノグラフ向けの音楽用シリンダー

1891年4月の周辺状況として、硬貨投入式フォノグラフ(コイン投入で再生する装置)が娯楽機器として展開され、そこに供給する音楽用シリンダーが重要になっていった流れは確認できます。アメリカ合衆国議会図書館(Library of Congress)の解説では、エジソンの工場・事業体が、硬貨投入式フォノグラフに用いる音楽用シリンダーを製造していたことが述べられており、録音物が「家庭や事務」だけでなく「人が集まる場での再生」へ広がる途上にあったことが読み取れます。

トーキング・ドール録音の終息と1891年4月の位置づけ

エジソンの周辺では、蝋管を内蔵したトーキング・ドール向けに、短い音声や歌を録音した専用シリンダーが製造されましたが、アメリカ合衆国議会図書館(Library of Congress)の解説では、エジソンが同事業体との関係を1891年3月に終えたことが明記されています。したがって1891年4月は、トーキング・ドール録音が継続的な商品展開としては失速し、娯楽用途の録音(硬貨投入式を含む)へ重心が移っていく過程の「直後の月」として位置づけられます。