1892年11月に録音された音楽

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1892年11月に録音された音楽

1892年11月は、政治と社会運動が同時に動いた月でした。アメリカ合衆国では1892年11月8日の1892年アメリカ合衆国大統領選挙(1892 United States presidential election)でグロバー・クリーブランド(Grover Cleveland, 1837–1908)が当選し、同じ11月8日–11月12日にニューオーリンズ(New Orleans)で1892年ニューオーリンズ・ゼネラル・ストライキ(1892 New Orleans general strike)が発生しました。西アフリカでは第二次フランス=ダホメ戦争(Second Franco-Dahomean War)でフランスがアボメー(Abomey)に入城(1892年11月17日)し、地域秩序の再編が進みます。北米ではウィンストン=セーラム(Winston-Salem)のホテル・ジンツェンドルフ(Hotel Zinzendorf)が感謝祭(Thanksgiving)の火災で全焼(1892年11月24日)し、都市の成長と安全対策の課題も浮かび上がりました。スポーツではウィリアム・ヘッフェルフィンガー(William W. “Pudge” Heffelfinger, 1867–1954)が報酬を得て出場した試合(1892年11月12日)が、後年「プロ化」の起点として語られます。

この月の確認されている録音:0曲

1892年11月の録音に関する情報のまとめ

1892年11月時点の商業録音は、ワックス円筒を中心に「短時間・少量・繰り返し」の制約の中で運用されていました。合衆国議会図書館(Library of Congress)の解説では、1892年の円筒は「ブラウン・ワックス(brown wax)」が用いられ、冒頭で曲名・演者・会社名などを告げる慣行も見られます。一方で量産複製の手段が限られ、必要数を確保するため同一演目を繰り返し録音する状況が続いていました。

ブラウン・ワックス円筒とアナウンス

合衆国議会図書館(Library of Congress)の解説によれば、1892年の円筒はブラウン・ワックス(brown wax)の時期にあたり、録音の冒頭で演目情報を読み上げる「アナウンス」を伴う例が挙げられています。後年の大量複製モデルが確立する前段階で、同じ演目を繰り返し録って流通量を補う構造が、円筒録音の制作現場を規定していました。

ニュージャージーの1892年カタログ

ニュージャージー・フォノグラフ・カンパニー(New Jersey Phonograph Company)の1892年カタログがインターネット上で公開されており、当時の地域フォノグラフ会社がレパートリーを「販売目録」として整備していたことが確認できます。ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)配下の地域会社という位置づけも記され、1892年の商業録音が「会社網」と「カタログ」によって流通していた一端が読み取れます。

コロンビアの娯楽録音と販売

コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)の1889年–1896年の録音を対象にしたディスコグラフィが公開されており、この時期に同社が娯楽録音の録音・販売を先導したこと、また既知録音の一覧や当時のカタログ画像がまとめられていることが明記されています。1892年11月は、その「娯楽録音の商業化」が日常の消費文化へ入り込んでいく途上に位置づきます。

ベルリナーのグラモフォンとディスク化の進行

エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)について、合衆国議会図書館(Library of Congress)の年表は、1880年代末からセルロイドや硬質ゴムでの実験ディスク制作を経て、1890年にドイツで横振動(lateral-cut)のディスクが小規模に生産されたこと、さらに1893年に商業市場参入を目的とする会社が設立されたことを示しています。1892年11月は、円筒中心の商業録音が走りながら、ディスク式が「次の標準」へ向けて準備を進めていた過渡期に当たります。