1904年に録音された音楽
1904年は、帝国間競争が軍事衝突へ転化する一方で、都市インフラと国際イベントが拡張し、「大量に移動し、同じ場を共有し、同じ体験を消費する」近代の生活回路がいっそう太くなった年でした。東アジアでは日露戦争(Russo–Japanese War)が1904年2月に開戦し、旅順港(ポート・アーサー)周辺での海上戦闘(2月8日–9日)を起点に、戦争が世界政治の注視点として浮上します。続いて満洲では遼陽会戦(8月25日–9月3日)が起こり、近代的な兵站と火力を背景に大兵力がぶつかる陸上戦も前景化しました。さらに北海ではドッガー・バンク事件(10月21日–22日)が発生し、戦時の誤認が第三国を巻き込み得る危うさが露呈します。外交面では英仏協商(Entente Cordiale, 4月8日)が成立し、植民地問題の調整を通じて英仏関係が転換し、20世紀前半の国際秩序を形作る配置が動き始めました。
巨大技術の側面では、パナマ運河の建設がアメリカ合衆国主導で本格化し、1904年5月4日に米側の建設努力が公式に始動します。これは海運と軍事、交易の地理を長期的に変える計画であり、工学のみならず衛生・医療の管理が成否を左右する「国家規模プロジェクト」の典型にもなっていきます。都市内部でも交通革命が進み、ニューヨークではIRT地下鉄が1904年10月27日に開業し、通勤圏と都市の時間感覚を組み替えていきました。災害もまた近代都市の脆弱性を照らし、ボルティモア大火(2月7日–8日)では中心部が広く焼失し、復興と防災の課題が突き付けられます。
大衆文化の側では、セントルイスでルイジアナ買収博覧会(Louisiana Purchase Exposition)が4月30日から12月1日まで開催され、技術・商品・展示・見世物が巨大空間に束ねられることで、都市と産業の「未来像」が観客の体験として流通しました。同地で行われたセントルイス五輪(7月1日–11月23日)は、国際競技が長期の都市イベントとして運営され得ることを示し、国際的な娯楽消費の回路を太くします。国際スポーツの制度化も進み、国際サッカー連盟(FIFA)が1904年5月21日にパリで設立されました。舞台芸術ではジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini, 1858–1924)の歌劇『マダム・バタフライ』が2月17日にミラノのスカラ座で初演され、異文化表象が大都市の娯楽市場を通じて流通する時代の感度を象徴します。音楽界ではアントニーン・ドヴォルザーク(Antonín Dvořák, 1841–1904)が5月1日に死去し、19世紀後半の作曲世界が世代交代へ向かう節目の一つとなりました。
学術面ではノーベル賞(1904年)で、ロード・レイリー(Lord Rayleigh, 1842–1919)、ウィリアム・ラムゼイ(William Ramsay, 1852–1916)、イワン・パブロフ(Ivan Pavlov, 1849–1936)が受賞し、文学賞はフレデリック・ミストラル(Frédéric Mistral, 1830–1914)とホセ・エチェガライ(José Echegaray y Eizaguirre, 1832–1916)が分け合い、平和賞は国際法学会(Institut de droit international)が受賞しました。軍事と外交が緊張を高める一方で、都市交通・国際イベント・学術の権威化が同時進行し、世界が「速度」と「規模」を更新していく年として1904年は位置づけられます。
