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1889年12月に録音された音楽

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1889年12月に録音された音楽

1889年12月は、ベルギーで女子・年少者の就業時間や年齢を制限する労働法が制定され、フィラデルフィアではアメリカ政治社会科学アカデミーが発足し、ホノルルではハワイとポリネシアの自然・文化資料を収蔵するビショップ博物館が創設されるなど、産業化と帝国主義の進行にあわせて社会政策と学術インフラが整備された月でした。
同じ12月にはロンドンでギルバート&サリヴァンのオペレッタ『The Gondoliers』が初演され、22日の皆既日食を追う観測隊がアンゴラ沿岸などに派遣される一方で、「ロシアかぜ」と呼ばれるインフルエンザの世界的大流行がパリでクリスマス前後にピークに達するなど、文化・天文学・公衆衛生の出来事が同時多発的に進行していた時期でもあります。

この月の確認されている録音:219曲

2日(2曲)

TitleArtist
Ungarischer Tanz Nr. 1 g-Moll / Hungarian Dance No. 1 in G minorJohannes Brahms
Die Libelle, op. 204Johannes Brahms

【1889年12月2日の出来事】
ポール・オルタウス(Paul Shearer Althouse, 1889–1954)
アメリカ合衆国ペンシルベニア州レディングでオペラ歌手ポール・オルタウス(Paul Shearer Althouse, 1889–1954)が生まれました。メトロポリタン歌劇場で30年にわたり活躍し、イタリア・オペラの抒情テノールからワーグナー作品のドラマティック・テノールへとレパートリーを拡大したことで知られます。
連続殺人犯ジャン・ドーガの死刑判決
フランス東部ナンシーのモルト=エ=モゼル県控訴院・重罪裁判所は、連続殺人犯ジャン・ドーガ(Jean Dauga, 1849–1890)に対して、1889年12月2日に死刑判決を言い渡しました。ドーガはポン=ア=ムッソンなどで十件前後の殺人を行ったとされ、「外套の男(l’homme à la pèlerine)」と呼ばれ、翌1890年1月23日にギロチンで処刑されています。

3日(13曲)

TitleArtist
Color Guard MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Bay State Commandery MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Tube Rose WaltzesDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Down Went McGinty } 1Duffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Down Went McGinty } 2Duffy & Imgrunds 5th Regmt Band
The Corporal’s GuardDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Frida PolkaDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Mayor Bernard – MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
White Rose WaltzesDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Happy Time Of YouthDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Song & DanceDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Orange Club MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
I Think Of Thee WaltzesDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band

【1889年12月3日の出来事】
ウジェーヌ・イザイによるマズルカ《Lointain passé》のヴェネツィア初演
ベルギーのヴァイオリニスト・作曲家ウジェーヌ・イザイ(Eugène Ysaÿe, 1858–1931)が、マズルカ《Lointain passé》をイタリア・ヴェネツィアの演奏会で初演しました。現地新聞の評によれば、この作品は繊細な詩情と高度な技巧を兼ね備えたものとして聴衆に歓迎され、イザイの国際的名声を高める一夜になりました。
キリルス・クレーク(Cyrillus Kreek, 1889–1962)
エストニアの作曲家キリルス・クレーク(Cyrillus Kreek, 1889–1962)がロシア帝国エストニア地方ヴォンヌに生まれました。キリルス・クレーク(Cyrillus Kreek, 1889–1962)は民謡収集に初めて蓄音機を本格的に用いた人物の一人で、多数の合唱作品を通じてエストニア民族音楽の確立に大きく貢献しました。
アンリ・アリベール(Henri Alibert, 1889–1951)
フランスの歌手・俳優アンリ・アリベール(Henri Alibert, 1889–1951)が南仏ヴォクリューズ県で生まれました。アンリ・アリベール(Henri Alibert, 1889–1951)はマルセイユ訛りの軽妙な語りと歌で人気を博し、「モン・パリ(Mon Paris)」などのレコード録音で知られるミュージックホールのスターとなりました。
バルタサル・サルドーニ(Baltasar Saldoni y Remendo, 1807–1889)
スペインの作曲家・音楽学者バルタサル・サルドーニ(Baltasar Saldoni y Remendo, 1807–1889)がマドリードで亡くなりました。彼はオペラや宗教曲の作曲家としてだけでなく、スペイン音楽家の大規模な伝記事典を編さんした音楽史家としても知られています。
ニコラ・テスラの交流電動機関連特許の成立
アメリカ合衆国特許庁はニコラ・テスラ(Nikola Tesla, 1856–1943)の交流電動機に関する複数の特許(特許番号416,191・416,192・416,193・416,194・416,195など)を登録しました。いずれも多相交流による誘導電動機やその運転法に関するもので、のちの送電システムと工業用モーター技術の基盤を成す発明として、テスラ特許一覧で重要視されています。

4日(13曲)

TitleArtist
Quartermaster Newton’s MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
The “President’s” MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Arcadian – PromenadeDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Down Went McGintyDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Piccolo PolkaDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Phonograph GalopDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
The Button Hole Bouquet – WaltzesDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Corporal’s GuardDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
The Color GuardDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
White Rose WaltzDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Sunny DaysDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Dancing In The BarnDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band
Mazurka ItalianoDuffy & Imgrunds 5th Regmt Band

【1889年12月4日の出来事】
ロイド・フランシス・ベーコン(Lloyd Francis Bacon, 1889–1955)
ロイド・フランシス・ベーコン(Lloyd Francis Bacon, 1889–1955)は、1889年12月4日にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼで生まれた映画監督・俳優です。チャールズ・チャップリン作品への出演を経てワーナー・ブラザースの専属監督となり、『四十二番街』など多様なジャンルの作品を手がけ、1930年代ハリウッドの職人監督として知られるようになりました。
ベラ・ローゼンフェルト(Bella Rosenfeld, 1889–1944)
ベラ・ローゼンフェルト(Bella Rosenfeld, 1889–1944)は、1889年12月4日にロシア帝国領ヴィテブスク近郊で生まれたユダヤ人女性で、画家マルク・シャガール(Marc Chagall, 1887–1985)の妻・ミューズとして知られます。シャガール作品にたびたび現れる浮遊する恋人たちのイメージはベラとの関係に由来し、彼女の死後も画家の記憶と喪失の象徴的モチーフとして描かれ続けました。
タンティア・ビールの処刑
タンティア・ビール(Tantia Bhil, 1840–1889)は、1889年12月4日にイギリス領インド帝国中央州ジュバルプル(Jubbulpore)の刑務所で絞首刑に処されました。ビール族出身で「インドのロビン・フッド」とも呼ばれた彼は、1870〜80年代にマディヤ・プラデーシュ一帯で反英武装闘争を指揮し、現在も部族運動や反植民地闘争の象徴的英雄として顕彰されています。

5日(17曲)

TitleArtist
The Monarch Line MarchDuffy & Imgrund
Little Buttercup Song & DanceDuffy & Imgrund
Autumn Leaves WaltzesDuffy & Imgrund
Something To Please The BabiesDuffy & Imgrund
Old Oaken BucketDuffy & Imgrund
Sounds From HomeDuffy & Imgrund
American AirsDuffy & Imgrund
Popular AirsDuffy & Imgrund
Pretty Pond Lilies WaltzDuffy & Imgrund
Quartermaster NewtonDuffy & Imgrund
Religious AirsDuffy & Imgrund
Religious MelodiesDuffy & Imgrund
O’ Think Of The Home Over ThereDuffy & Imgrund
I’m Praying For YouDuffy & Imgrund
RefugeDuffy & Imgrund
Home Of My SoulDuffy & Imgrund
Bay State Commandery MarchDuffy & Imgrund

【1889年12月5日の出来事】
ダミア(Damia, 1889–1978)
フランス・パリでシャンソン歌手ダミア(Damia, 1889–1978、本名マリー=ルイーズ・ダミアン Marie-Louise Damien)が生まれました。第一次世界大戦後のパリのキャバレーで人気を博し、感情豊かな歌唱とドラマティックな舞台演出によって1930年代フランス大衆音楽を代表する存在となりました。

6日(14曲)

TitleArtist
Friendship MarchDuffy And Imgrunds
Approach Of Spring WaltzesDuffy And Imgrunds
Monastery BellsDuffy And Imgrunds
Saw My Leg OffDuffy And Imgrunds
Monastery BellsDuffy And Imgrunds
Tube Rose WaltzesDuffy And Imgrunds
Monastery BellsDuffy And Imgrunds
Tube Rose Waltz } By RequestDuffy And Imgrunds
Down Went McGintyDuffy And Imgrunds
Killarney WaltzesDuffy And Imgrunds
Sidonia PolkaDuffy And Imgrunds
Phonograph GalopDuffy And Imgrunds
Society YorkeDuffy And Imgrunds
Song And Dance By RequestDuffy And Imgrunds

【1889年12月6日の出来事】
ジェファーソン・フィニス・デイヴィス(Jefferson Finis Davis, 1808–1889)
アメリカ連合国大統領を務めたジェファーソン・フィニス・デイヴィス(Jefferson Finis Davis, 1808–1889)がルイジアナ州ニューオーリンズで死去しました。この出来事は南北戦争期の南部指導者世代の終焉として受け取られ、旧南部諸州を中心に大規模な追悼行事が行われました。
合衆国対ベル事件での証言録取開始
1889年12月6日、アメリカ合衆国政府がアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847–1922)の電話特許無効を求めた訴訟で、大規模な証言録取が開始されたと報じられました。この長期訴訟は先発明主張などを巡って電話特許の正当性と通信技術の優先権を争いましたが、最終的には特許満了により実質的な司法判断が示されないまま終結しました。

7日(13曲)

TitleArtist
Colored Guards MarchDuffy & Imgrund
Monastery Bells } 1Duffy & Imgrund
Monastery Bells } 2Duffy & Imgrund
Magic TrumpetDuffy & Imgrund
The Night Alarm } 1Duffy & Imgrund
The Night Alarm } 2Duffy & Imgrund
The Night Alarm } 3Duffy & Imgrund
The Old Homestead SchottischeDuffy & Imgrund
Love’s Dreamland WaltzesDuffy & Imgrund
Sounds From HomeDuffy & Imgrund
5th Regmt. PromenadeDuffy & Imgrund
Magic TrumpetDuffy & Imgrund
Secret Love – MarchDuffy & Imgrund

【1889年12月7日の出来事】
オペレッタ『ゴンドリエーズ』初演
ロンドンのサヴォイ劇場で、W・S・ギルバート(William Schwenck Gilbert, 1836–1911)台本、アーサー・サリヴァン(Arthur Seymour Sullivan, 1842–1900)作曲によるオペレッタ『ゴンドリエーズ(The Gondoliers; or, The King of Barataria)』が初演されました。上演は554回に及ぶ大成功となり、ギルバート&サリヴァン作品の中でも後期の代表作として評価される作品となりました。

9日(10曲)

TitleArtist
March – Semper FidelisG. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – The LuLu BirdG. F. Schweinfest
Ed Issler
Robin Adair & Var.G. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – Sweet DreamsG. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – OrioleG. F. Schweinfest
Ed Issler
Yorke – MignonG. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – Birdie’s FavoriteG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – Birds FestivalG. F. Schweinfest
Ed Issler
Libiamo – VerdiG. F. Schweinfest
Ed Issler
Russian BalladG. F. Schweinfest
Ed Issler

【1889年12月9日の出来事】
サウサンプトン・セイヤーズ記念時計塔の除幕
イングランド・サウサンプトンのセイヤーズ記念時計塔(Sayers Memorial Clock Tower/現在はコブデン橋東側ビタン・パーク・トライアングル所在)は、1889年に建てられ、この年12月9日に地元名士や市民を招いて正式な除幕式が行われました。時計塔はもともとアバーヴ・バー通りとニュー・ロードの交差点に設置された飲料水泉付き記念塔で、1930年代に現在地へ移設され、今日も街のランドマークとして残っています。
シカゴ・オーディトリアム・シアター開場
1889年12月9日、アメリカ・イリノイ州シカゴでオーディトリアム・シアター(Auditorium Theatre)が正式に開場し、アメリカ合衆国大統領ベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison, 1833–1901)らを招いた華やかなこけら落としが行われました。
劇場は建築家ダンクマル・アドラー(Dankmar Adler, 1844–1900)とルイス・サリヴァン(Louis Sullivan, 1856–1924)が設計したオーディトリアム・ビルディング(Auditorium Building)の一部で、当時世界最大級のオペラハウスとしてシカゴの文化的ランドマークになりました。

10日(11曲)

TitleArtist
March – HurrahG. F. Schweinfest
Ed Issler
Song & Dance ” On The Go”G. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – Clover LeafG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – Pearls & BlossomsG. F. Schweinfest
Ed Issler
Yorke – Falling LeavesG. F. Schweinfest
Ed Issler
Song & Dance – Down Went McGintyG. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – LydiaG. F. Schweinfest
Ed Issler
Santa LuciaG. F. Schweinfest
Ed Issler
Galop – Here & ThereG. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – Dance For JoyG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – Vision Of ParadiseG. F. Schweinfest
Ed Issler

【1889年12月10日の出来事】
シンガポール『ザ・ストレーツ・タイムズ』1889年12月10日号
英領海峡植民地シンガポールでは、英字紙『ザ・ストレーツ・タイムズ(The Straits Times)』1889年12月10日号が発行され、貿易広告やクリスマス向け「Japanese Art(日本美術)」関連商品の広告などが紙面を飾っています。港湾都市シンガポールが国際貿易と消費文化の拠点になっていたことを示し、日本製品が植民地市場で販売されていた様子もうかがえます。
マヌエル・フォント・デ・アンタ(Manuel Font de Anta, 1889–1936)
マヌエル・フォント・デ・アンタ(Manuel Font de Anta, 1889–1936)は、スペイン・セビリアで1889年12月10日に生まれた作曲家・指揮者です。聖週間の行進曲やサエタなど、情感豊かな宗教行列音楽で知られ、20世紀前半のスペイン音楽に劇的で抒情的な色彩を与えた人物と評価されています。

11日(11曲)

TitleArtist
March “Concordia”G. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka OrioleG. F. Schweinfest
Ed Issler
Yankee Doodle & Var.G. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – HungarianG. F. Schweinfest
Ed Issler
Song & Dance – Just The StyleG. F. Schweinfest
Ed Issler
Yorke “Crescent City”G. F. Schweinfest
Ed Issler
March MedleyG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz “Irene” K. K.G. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – ShuanoG. F. Schweinfest
Ed Issler
Galop – Electric ClubG. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka ExpertsG. F. Schweinfest
Ed Issler

【1889年12月11日の出来事】
米議会のワシントン就任百周年記念式典
1889年12月11日、ワシントンD.C.の連邦議会議事堂で、アメリカ合衆国議会両院合同会議がジョージ・ワシントン(George Washington, 1732–1799)の初代大統領就任百周年を記念する式典を開きました。この席で連邦最高裁長官メルヴィル・ウェストン・フラー(Melville Weston Fuller, 1833–1910)が記念演説を行い、建国の理念と憲法体制の継承について語ったと記録されています。
ジェファソン・デイヴィスの葬送と仮埋葬
南部連合大統領を務めたジェファーソン・フィニス・デイヴィス(Jefferson Finis Davis, 1808–1889)は死去後、1889年12月11日にルイジアナ州ニューオーリンズのメタリー墓地で大規模な葬送行列ののち仮埋葬されました。この葬儀は旧南部連合の記憶を象徴する行事となり、南部各州からの参列者や退役軍人組織が多数参加したことが当時の新聞や図像資料に残されています。

12日(11曲)

TitleArtist
March – PreludeG. F. Schweinfest
Ed Issler
[March] Greeting To EmsG. F. Schweinfest
Ed Issler
German Ballad & Var.G. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – IdaliaG. F. Schweinfest
Ed Issler
Song – VerdiG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz “Visions Of Paradise”G. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka “Bouquet”G. F. Schweinfest
Ed Issler
Air From SantanellaG. F. Schweinfest
Ed Issler
Song & Dance “Mary Ann McGuire”G. F. Schweinfest
Ed Issler
One Heart One Mind YorkG.G. F. Schweinfest
Ed Issler
Semper Fidelis MarchG. F. Schweinfest
Ed Issler

【1889年12月12日の出来事】
スイス国章を定める連邦決議
スイス連邦議会は「赤地に直立した自由な白十字」を国章とし、十字の腕が幅より6分の1長いことを定める連邦決議(Bundesbeschluss betreffend das eidgenössische Wappen)を採択しました。これにより、古くから慣習的に使われていたスイス十字の形状が初めて連邦レベルで明文化され、現在に続く国章・国旗デザインの基礎が固まりました。

13日(10曲)

TitleArtist
March – Warrior’s FarewellG. F. Schweinfest
Ed Issler
Gavotte – LucilleG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – Visions Of ParadiseG. F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – Birdie’s FavoriteG. F. Schweinfest
Ed Issler
Russian Ballad & Var.G. F. Schweinfest
Ed Issler
Russian Ballad & Var. [(Ballad & Variations?)] Mc Ginty’sG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – Daughter Of LoveG. F. Schweinfest
Ed Issler
Overture – Hope Of AlsaceG. F. Schweinfest
Ed Issler
Spring Song – By MedelsohnG. F. Schweinfest
Ed Issler
Galop “Heigh Ho”G. F. Schweinfest
Ed Issler

【1889年12月13日の出来事】
日本・大隈重信の外務大臣辞任草案
1889年12月13日、大隈重信(1838–1922)は黒田清隆(1840–1900)首相宛に外務大臣辞任の意思を伝える書簡草案を作成し、条約改正問題をめぐる政局の緊張が続いていることを示しました。
この草案は、明治憲法発布直後の日本外交と内閣制のあり方をめぐる対立の一端を物語る史料として早稲田大学などに伝えられています。
ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ』第1部刊行
1889年12月13日、作家ルイス・キャロル(Lewis Carroll, 1832–1898)の後期長編『シルヴィーとブルーノ(Sylvie and Bruno)』第1部がロンドンのマクミラン社から刊行されました。『不思議の国のアリス』と異なり哲学的・宗教的色彩の濃い作品で、ヴィクトリア朝末期の児童文学・ファンタジー史に特異な位置を占めます。
近松門左衛門『日本振袖始』活版本の刊行
1889年12月13日、近松門左衛門(1653–1725)の浄瑠璃『日本振袖始』の活版本が、武蔵屋蔵版として叢書閣・丸善商社書店などから刊行されました。古典戯曲の活版印刷による再刊は、明治期における近世文学の再評価と出版文化の変化を象徴する動きでした。

16日(7曲)

TitleArtist
Jingle BellsWill Lyle
Nigger Nigger Never DieWill Lyle
Barnyard SongWill Lyle
Cat SongWill Lyle
I Wonder How It Would FeelWill Lyle
Rattle On The BanjoWill Lyle
Banjo SoloWill Lyle

【1889年12月16日の出来事】
ミネアポリス公共図書館の開館
ミネアポリス公共図書館(Minneapolis Public Library)は、1889年12月16日にミネソタ州ミネアポリスの10丁目とヘネピン・アベニューに最初の中央館を開館しました。市の公立図書館として初の専用建築であり、後に美術ギャラリーや科学団体の拠点ともなり、都市の近代的な文化インフラ整備を象徴する施設となりました。
ベートーヴェン・ハウス支援コンサートの告知
ニューヨークのドイツ語新聞『ノイ・ヨーカー・シュターツ=ツァイトゥング(New-Yorker Staats-Zeitung)』1889年12月16日号には、ドイツ・ボンのベートーヴェン・ハウス(Beethoven-Haus Bonn)を支援するためのベネフィット・コンサート告知が掲載されました。ドイツ系移民社会が、ベートーヴェン生家を記念館として保存する運動を遠くアメリカからも経済的に支えていたことが、この広告から読み取れます。

18日(10曲)

TitleArtist
March St. Nichol’sWm Tuson
G. Schweinfest
Galop “Snap”Wm Tuson
G. Schweinfest
Selection “Said Pasha”Wm Tuson
G. Schweinfest
Selection “The Oolah”Wm Tuson
G. Schweinfest
Waltz – “Fortuna” From CloverWm Tuson
G. Schweinfest
Hoboken PioneersWm Tuson
G. Schweinfest
Greeting To Ems MarchWm Tuson
G. Schweinfest
Kentucky JubileeWm Tuson
G. Schweinfest
Polka The BrigandsWm Tuson
G. Schweinfest
Hornpipe PolkaWm Tuson
G. Schweinfest

【1889年12月18日の出来事】
ロシア風邪とアメリカ初の症例報告
1889–1890年の世界的インフルエンザ流行(1889–1890 pandemic)は、1889年12月18日にアメリカ合衆国で最初の症例が報告されたとされています。これをきっかけに東海岸や中西部の都市へ急速に感染が広がり、スペインの新聞『ラ・イベリア(La Iberia)』など欧州各紙も同時期に「ロシア風邪」の流行と政府対応を大きく報じたとされています。

19日(11+7曲)

※このリストは12月16日の後ろ、18日の前に12月19日として記載されていました

TitleArtist
March – Semper FidelisWm Tuson
Ed Issler
Waltz – IreneWm Tuson
Ed Issler
Air & Var.Wm Tuson
Ed Issler
Polka – GambrinusWm Tuson
Ed Issler
Waltz – IdaliaWm Tuson
Ed Issler
March – PreludeWm Tuson
Ed Issler
Dancing In The BarnWm Tuson
Ed Issler
Polka EdaWm Tuson
Ed Issler
CzardasWm Tuson
Ed Issler
Waltz IdaliaWm Tuson
Ed Issler
Yorke – SylviaWm Tuson
Ed Issler

※このリストは12月18日の次に12月19日として記載されていました

TitleArtist
Rain A LittleWill Lyle
Stop That KnockingWill Lyle
Cat SongWill Lyle
The Boarding HouseWill Lyle
Barn YardWill Lyle
When Daddy Picked The Old BanjoWill Lyle
When The Sun Sets Back Of The HillWill Lyle

【1889年12月19日の出来事】
ネイチャー誌のインフルエンザと麻酔をめぐる報告(Nature, Volume 41, Issue 1051)
ロンドン発行の科学雑誌『ネイチャー(Nature)』は1889年12月19日付の第41巻第1051号で、ヨーロッパ各地で拡大していたインフルエンザ流行を論じる社説とともに、公衆衛生上の問題として紹介しました。同じ号にはインドの「ハイデラバード・クロロホルム委員会(Hyderabad Chloroform Commission)」に関するニュースも掲載されており、19世紀末の麻酔法をめぐる安全性議論の一次史料となっています。

20日(9曲)

TitleArtist
March – King JohnMessrs. Issler
Schweinfest
Polka – EnterpriseMessrs. Issler
Schweinfest
Waltz – Sweet DreamMessrs. Issler
Schweinfest
Yorke MignonMessrs. Issler
Schweinfest
Waltz – Vision Of ParadiseMessrs. Issler
Schweinfest
Yorke – Birds Of SpringMessrs. Issler
Schweinfest
Galop – Always GayMessrs. Issler
Schweinfest
Waltz – New ParisMessrs. Issler
Schweinfest
Polka – The LambsMessrs. Issler
Schweinfest

【1889年12月20日の出来事】
ジョージ・バーナード・ショーによる音楽批評
イギリスの劇作家・評論家ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856–1950)は、ロンドンの夕刊紙『The Star』1889年12月20日号に音楽批評「Saint John’s Eve」を寄稿したとされています。これは作曲家フレデリック・ハイマン・コーエン(Frederic Hymen Cowen, 1852–1935)らを論じた一連の批評の一つで、当時のロンドン楽壇に対する辛辣でウィットに富んだ視点がうかがえます。
ボジダル・シロラ(Božidar Širola, 1889–1956)
ボジダル・シロラ(Božidar Širola, 1889–1956)は、クロアチアの作曲家・音楽学者で、民謡採集やクロアチア音楽史の研究で知られます。 1889年12月20日に当時オーストリア=ハンガリー領だったジャカニェ(Žakanj)で生まれ、ザグレブの音楽文化形成に大きく貢献しました。

21日(6曲)

※このリストは12月23日の後ろ、24日の前に12月21日として記載されていました

TitleArtist
Stop That KnockingWill Lyle
BarnyardWill Lyle
Rattle On The BanjoWill Lyle
Cat SongWill Lyle
Nigger Nigger Never DieWill Lyle
Lulu LyleWill Lyle

【1889年12月21日の出来事】
ロシア風邪流行の報道(イギリス・アイルランド・ウェールズ)
1889年12月21日付のウェールズ語新聞「Baner ac Amser Cymru」やアイルランドの新聞では、ロシア風邪と呼ばれたインフルエンザ流行がイギリス諸地域に広がりつつあることが報じられました。政治・社会欄では、労働者層や公務員の欠勤増加への懸念や、流行が議会運営や外交行事に及ぼす影響なども論じられています。

23日(10曲)

TitleArtist
Polka – My TreasureA. T. Van Winkle
Ed Issler
Galop – BrilliantA. T. Van Winkle
Ed Issler
Yorke – CeliaA. T. Van Winkle
Ed Issler
Song & DanceA. T. Van Winkle
Ed Issler
Polka – Sea BreezeA. T. Van Winkle
Ed Issler
Air & Var.A. T. Van Winkle
Ed Issler
Polka – FrancaiseA. T. Van Winkle
Ed Issler
Galop – ApolloA. T. Van Winkle
Ed Issler
Polka – KarkiokaA. T. Van Winkle
Ed Issler
Dance Of The OwlsA. T. Van Winkle
Ed Issler

【1889年12月23日の出来事】
ホワイトハウスでのクリスマスツリー報道
1889年12月23日、アメリカ・コネチカット州の新聞「Waterbury Evening Democrat」は、ベンジャミン・ハリソン政権下でホワイトハウス内部に初めて本格的な装飾付きクリスマスツリーが設置されたことを報じました。ハリソン一家の子どもや孫のためのツリーであり、のちのホワイトハウスにおけるクリスマス行事の原型とみなされています。

24日(12曲)

TitleArtist
Polka – Hazel DellA. T. Van Winkle
Ed Issler
Galop – TobogganA. T. Van Winkle
Ed Issler
Song & DanceA. T. Van Winkle
Ed Issler
Polka – My TreasureA. T. Van Winkle
Ed Issler
Song Without WordsA. T. Van Winkle
Ed Issler
Polka – Sea BreezeA. T. Van Winkle
Ed Issler
Dance Of The OwlsA. T. Van Winkle
Ed Issler
Polka  – EdisonianA. T. Van Winkle
Ed Issler
Galop ApolloA. T. Van Winkle
Ed Issler
Yorke – ImperialA. T. Van Winkle
Ed Issler
Galop – BrilliantA. T. Van Winkle
Ed Issler
Song – Old Uncle JoeA. T. Van Winkle
Ed Issler

【1889年12月24日の出来事】
ネブラスカ州オマハの「真夏のクリスマス・イブ」(A Midsummer Christmas Eve in Omaha)
ネブラスカ州オマハでは1889年12月24日、最高気温が華氏68度(約20℃)に達し、「ミッドサマー・クリスマス・イブ」と新聞が呼ぶほど異常に暖かい一日となりました。『オマハ・デイリー・ビー』紙は、人々がコートを脱いで街を歩き、貧困層にとっては寒さによる苦しみが和らぐ「恵みの暖気」であったと報じています。

30日(11曲)

TitleArtist
Puritan MarchGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – Little GrettoGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Russian Ballad & Var.Geo F. Schweinfest
Ed Issler
Galop – La GrippGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Song & Dance – The Lady Picking MulberriesGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – Visions Of ParadiseGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Robin AdairGeo F. Schweinfest
Ed Issler
German BalladGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Polka – Mountain BellsGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Yorke WandaGeo F. Schweinfest
Ed Issler
Galop – Pro TemGeo F. Schweinfest
Ed Issler

【1889年12月30日の出来事】
ロシアかぜパンデミックのピーク期
1889年末、いわゆるロシアかぜとして知られる1889–1890年パンデミック(1889–1890 pandemic)の第一波がヨーロッパ各地でピークに達し、バルセロナでは12月20〜30日頃に最も高い罹患率が記録されたと報告されています。1889年12月30日前後には、同様の流行がマドリードやパリからアメリカ東部へも広がりつつあり、近代的な交通網によって急速に拡散する世界的インフルエンザ流行の初期段階となりました。

31日(11曲)

TitleArtist
March – SharpshootersG. F. Schweinfest
Ed Issler
Gavotte – LucilleG. F. Schweinfest
Ed Issler
March Warriors FarewellG. F. Schweinfest
Ed Issler
Dream After The BallG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – New ParisG. F. Schweinfest
Ed Issler
[Waltz] IdaliaG. F. Schweinfest
Ed Issler
Galop – Good Bye ’89G. F. Schweinfest
Ed Issler
Yorke – MignonG. F. Schweinfest
Ed Issler
Galop – Electric ClubG. F. ScG. F. Schweinfest
Ed Issler
Waltz – IreneG. F. Schweinfest
Ed Issler
March HurrahG. F. Schweinfest
Ed Issler

【1889年12月31日の出来事】
ジュゼッペ・アッポローニ(Giuseppe Apolloni, 1822–1889)
ジュゼッペ・アッポローニ(Giuseppe Apolloni, 1822–1889)は、ヴィチェンツァ出身のイタリア人作曲家で、歌劇『ユダヤ人(L’ebreo)』など5作ほどのオペラを書きました。1889年12月31日、彼は故郷ヴィチェンツァで没し、その死は19世紀イタリア・オペラ界の一時代の終わりとして地元紙などで追悼されました。
タイプライター改良特許の認可
19世紀末のアメリカでは、タイプライターの改良に関する特許が相次いで出願されており、1889年12月31日付でもクリストファー・レイサム・ショールズ(Christopher Latham Sholes, 1819–1890)らによる改良型タイプライターに関する米国特許が成立しています。QWERTY配列の普及とともに、こうした晩年の改良特許は、官庁・企業でのタイプライター常備を後押しし、近代的な事務作業の標準化に役立ちました。

1889年12月の録音に関する情報のまとめ

1889年12月の録音まわりの動きも、実際の録音日付がはっきりしないものが多く、「1889年末〜1890年初頭」とひとまとめに語られることが少なくありません。ここでは、一次資料から12月に直接言及しているもの、あるいは「1889年末」と位置づけられる録音・技術・企業動向を、録音史の文脈でピックアップしています。

ブラームス自作自演蝋管録音(ウィーン・12月2日)

1889年12月2日、ウィーンのフェリンガー邸でヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833–1897)が「ハンガリー舞曲第1番」(Ungarischer Tanz Nr. 1 g-Moll / Hungarian Dance No. 1 in G minor)やヨーゼフ・シュトラウスのポルカ「蜻蛉」(Die Libelle, op. 204)の一部を自作自演し、テオドール・ワンゲマン(Adelbert Theodor Edward “Theo” Wangemann, 1855–1906)の操作するエジソン蝋管に録音したとされています。作曲家本人の演奏と声が残る最初期級の例であり、19世紀末の演奏様式研究とエジソン式録音技術史の双方から非常に重視されているセッションです。

The Cylinder Archive - All about Edison phonograph cylinder records
Dedicated to the hobby of collecting phonograph cylinder records featuring pictures sound guidelines and more.

ワンゲマン欧州録音ツアー終盤の追加セッション

テオドール・ワンゲマン(Adelbert Theodor Edward “Theo” Wangemann, 1855–1906)は、ビスマルクやモルトケらの録音後も1889年晩秋から12月初頭にかけてドイツおよびオーストリア=ハンガリー各地を巡回し、音楽家・官吏・知識人の声や演奏を蝋管に記録し続けたと報告されています。ブラームス録音を含むこれらの年末セッションは、エジソン蝋管録音が「著名人の肉声と演奏を残すメディア」としてヨーロッパ上流層に浸透していく重要なステップと位置づけられます。

Audio: Theo Wangemann’s 1889-1890 European Recordings - Thomas Edison National Historical Park (U.S. National Park Service)

ベルリナーの「トリック録音」グラモフォン盤(ベルリン・12月14日)

エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)は1889年12月14日前後に、再生速度を約50〜140回転の間で変化させる実験的グラモフォン盤を録音し、自身の声を使って速度による音高・音色の変化を誇張して聴かせる「トリック録音」(trick recording)を行ったとされます。円盤レコードを用いたこの種の実験は、後のピッチ変化や再生操作による「音のマニピュレーション」の萌芽として、録音史研究でしばしば取り上げられています。

https://www.phonozoic.net/phonomanipulation.pdf

「E. BERLINER’S GRAMMOPHON」銘と初期ドイツ盤】

ドイツのディスコグラフィ研究によると、1889年末までに「E. BERLINER’S GRAMMOPHON」とドイツ特許番号「D.R.P. 45048」を刻んだラベル・デザインがほぼ定着し、ドイツ製の初期グラモフォン盤には愛国的歌曲「私はプロイセン人」(Ich bin ein Preusse)などの録音が含まれていたとされます。これらの盤は、ベルリナー方式の円盤録音がヨーロッパ市場で商品として具体的な形を取り始めた時期を示す資料として重視されています。

Forum - Grammophon und Schellackplatten Portal 78rpm

ニッケル・イン・ザ・スロット・フォノグラフの商業稼働(サンフランシスコ・12月以降)

ルイス・T・グラス(Louis T. Glass, 1845–1924)とウィリアム・S・アーノルド(William S. Arnold, 生没年不詳)は、1889年11月にサンフランシスコのパレ・ロイヤル・サルーンにコイン投入式フォノグラフを設置し、1889年12月から1890年5月までの約半年で15台の装置が合計4,000ドル超を売り上げたと報告しています。ここで流された代表的な流行歌録音として「ダウン・ウェント・マギンティ」(Down Went McGinty : song and chorus)が挙げられ、録音音楽をコイン投入で販売するビジネスモデルが実用段階に入った例と考えられています。

Today in History - The First Jukebox Made It's Musical Debut
The Jukebox. That all important machine that sat over in the corner of just about every drinking and/or hangout establis...

横浜・上海向けフォノグラフ見世物装置の準備(ニューヨーク・12月2日書簡)

1889年12月2日付の書簡で、貿易商エヴァレット・フレイザー(Everett Frazar, 1834–1901)はアルフレッド・オード・テイト(Alfred Ord Tate, 1857–1928)に対し、横浜向け9台・上海向け3台分の「フォノグラフ見世物用アタッチメント」(phono spectacle attachments)を新型足踏み式機とともに準備するよう依頼しています。これは東アジアの拠点で既存の録音シリンダーを用いた興行・デモンストレーションを展開しつつ在庫処分を行う計画であり、録音済みソフトと機械を組み合わせたショウビジネスが1889年末に具体化していたことを示します。

Thomas A. Edison Papers Image Edition ?? Thomas Edison Papers Digital Edition (DEV)
Thomas A. Edison Papers Image Edition ?? Thomas Edison Papers Digital Edition (DEV)

オランダ「エジソン・フォノグラーフ会社」構想とレンタル事業(ロッテルダム・12月21日報道)

オランダの新聞「ロッテルダムス・ニュースブラット」は1889年12月21日付の記事で、「エジソン・フォノグラーフ会社」(Edison Phonograaf Maatschappij)がフォノグラフを年額料金で貸し出し、言語教育・学術研究・商業書簡・朗読会・劇場などで広く活用させる構想を報じています。高価な録音再生機を購入ではなくレンタルで普及させ、録音済みシリンダーを多分野に供給するビジネスモデルがヨーロッパでも検討されていたことを示す、1889年末の重要な動きです。

https://demodernetijd.nl/wp-content/uploads/DNE-2016-4d-Verhoogt.pdf

https://demodernetijd.nl/wp-content/uploads/DNE-2016-4b-Dresen.pdf