1903年8月に録音された音楽

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1903年8月に録音された音楽

1903年8月、オスマン帝国(Ottoman Empire)領マケドニアで、自治を求めるイルデン=プレオブラジェニエ蜂起(Ilinden–Preobrazhenie Uprising)が8月2日に始まり、各地で戦闘と弾圧が拡大しました。ローマ教皇庁(Holy See)では8月4日、ヴェネツィア総大司教ジュゼッペ・サルトがピウス十世(Pius X, 1835–1914)として選出されました。交通面では8月10日、パリ地下鉄(Paris Métro)で火災が起き、クーロンヌ駅で多数の犠牲者が出ました。中南米では8月12日、コロンビア共和国(Republic of Colombia)の議会がアメリカ合衆国(United States of America)とのヘイ=エラン条約(Hay–Herrán Treaty)を否決し、パナマ地峡の運河計画が停滞しました。科学ではウィリアム・ラムゼー(William Ramsay, 1852–1916)とフレデリック・ソディ(Frederick Soddy, 1877–1956)が8月13日付のネイチャー(Nature)で、ラジウムの放射性崩壊でヘリウムが生じることを報告しました。

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1903年8月の録音に関する情報のまとめ

1903年8月の録音関連では、エジソン・フォノグラフ・マンスリー(Edison Phonograph Monthly)の1903年8月号に、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)がロンドンにマスター録音拠点を設け、マスター原盤をアメリカ合衆国側へ送って複製盤を作成し欧州へ供給する構想が掲載されています。同号には1903年9月向け新譜(エジソン・モールド・レコード)のアドバンス・リストが掲出され、あわせてアメリカン・マシニスト(American Machinist)掲載記事を再録する形で、モールド・レコード製造工程の技術解説も収録されています。

ロンドン録音拠点の整備

エジソン・フォノグラフ・マンスリー(Edison Phonograph Monthly)の1903年8月号は、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)がロンドン(London)ホルボーン(Holborn)のグレイズ・イン・ロード(Gray’s Inn Road)52番地に、マスター録音の常設設備を設けたことを報告しています。ここで作成したマスター原盤をアメリカ合衆国ニュージャージー州オレンジ(Orange, New Jersey, United States of America)へ送り、型取りと複製盤の製造を進め、当面は欧州向けに出荷する方針が示されています。

1903年9月向け新譜リストの掲載

エジソン・フォノグラフ・マンスリー(Edison Phonograph Monthly)の1903年8月号には、1903年9月向けの新譜として「エジソン・モールド・レコード(Edison Moulded Records)」のアドバンス・リストが掲載されています。本文では、1903年9月1日頃の出荷を想定し、1903年8月15日までに受け付けたジョバー(Jobber)向け在庫注文を優先して出荷する旨が明記されています。

モールド・レコード製造工程の記事再録

エジソン・フォノグラフ・マンスリー(Edison Phonograph Monthly)の1903年8月号は、アメリカン・マシニスト(American Machinist)の1903年7月9日号に掲載された「エジソン・モールド・レコード(Edison Moulded Records)」製造工程の記事を、図版を含めて再録しています。記事は、エジソン研究所(Edison Laboratory)でのマスター原盤作成から、型取りを経て大量複製に至る流れを、エジソン・コンサート・バンド(Edison Concert Band)の録音現場描写を交えて説明しています。