1895年12月に録音された音楽

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1895年12月に録音された音楽

1895年12月、世界は「新しい見え方」と「新しい見せ方」が同時に立ち上がる月でした。ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen, 1845–1923)が1895年12月28日にX線に関する論文を提出し、科学と医療の視界が拡張しました。同日、ルイ・リュミエール(Louis Lumière, 1864–1948)とオーギュスト・リュミエール(Auguste Lumière, 1862–1954)のシネマトグラフがパリで商業上映され、映像は共同体験の娯楽へと踏み出します。一方で、グロバー・クリーブランド(Grover Cleveland, 1837–1908)の1895年12月17日の議会向けメッセージはベネズエラとイギリス領ギアナの境界問題をめぐる米英関係を緊張させ、1895年12月29日にはリアンダー・スター・ジェームソン(Leander Starr Jameson, 1853–1917)らのジェームソン襲撃が南部アフリカの政治情勢を揺らしました。

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1895年12月の録音に関する情報のまとめ

1895年12月は、音の記録技術そのものに「この月だけの単独事件」が多いとは限らない一方で、年末時点の蓄音機産業が“次の標準”へ向けて複数の路線で前進していたことを確認できる時期です。円筒式の改良と普及、円盤式の材料・駆動方式の更新、そして同月に確立した映像興行の流れが、のちの音響付きメディアへ連鎖していきます。

エジソンの円筒式と1895年の機械改良

トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の円筒式蓄音機史を概説する資料では、1895年にぜんまい駆動の「Edison Spring Motor Phonograph」が登場したことが述べられています。1895年12月は、その年の改良が市場と利用現場に浸透していくタイミングとして位置づけられます。

ベルリナー式円盤と材料転換

エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)の円盤式蓄音機に関する概説では、1895年に硬質ゴムからシェラック系材料へ移行した旨が示されています。1895年12月は、円盤が量産メディアとして成熟していくための素材面の更新が、すでに進行していた時点として捉えられます。

エルドリッジ・ジョンソンとぜんまい駆動の課題

円盤式は手回しから安定回転へ移る必要があり、エルドリッジ・リーヴス・ジョンソン(Eldridge Reeves Johnson, 1867–1945)が1895年にベルリナー側へ「ぜんまい駆動の開発候補」として推奨されたことが説明されています。1895年12月時点では、円盤再生の安定性向上が事業上の要点として共有されていたことになります。

シネマトグラフ商業上映と音の居場所

1895年12月28日のパリにおけるシネマトグラフ商業上映は、「多数が同じ時間に同じ映像を見る」興行形態を定着させました。1895年12月の録音史を考えるうえでは、無声映像が興行として成立したこの段階が、やがて音楽演奏・音響再生・録音技術と結びつく“受け皿”を用意した点で重要です。