1897年10月に録音された音楽

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1897年10月に録音された音楽

1897年10月は、各地で「国家のかたち」や「近代化の速度」をめぐる出来事が続きました。南米ではブラジル第一共和政(First Brazilian Republic)の政府軍がカヌードス戦争(War of Canudos)を最終的に制圧し(1897年10月5日)、指導者アントニオ・コンセリェイロ(Antônio Conselheiro, 1830–1897)の共同体は壊滅しました。アフリカではエチオピア帝国でメネリク2世(Menelik II, 1844–1913)が三色旗の採用を命じた時期で、国民国家の象徴が整えられていきます。東アジアでは、コジョン(Gojong, 1852–1919)が大韓帝国(Korean Empire)を宣布し(1897年10月12日)、対外関係のなかで独立と体制強化を誇示しました。欧州ではギリシャ王国(Kingdom of Greece)とオスマン帝国(Ottoman Empire)の戦後処理として和平交渉が始まった時期で(1897年10月21日に交渉開始)、列強の介入を伴う「講和の政治」が前面化します。文化面ではグスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860–1911)がウィーン宮廷歌劇場(Vienna Court Opera)の指揮・運営を担う立場に就き(1897年10月8日)、都市の音楽制度が個人の力量によって再編されていく局面が見えます。社会・経済の動きとしてはクロンダイク・ゴールドラッシュ(Klondike Gold Rush)の人流が続き、秋以降の河川凍結で移動や補給が難化していきました。

この月の確認されている録音:0曲

1897年10月の録音に関する情報のまとめ

1897年10月の「録音そのもの」に日付が確定できる事例として、ウィーンでの作曲家の肉声記録が確認できます。一方で、この月に限定した各社(円筒・円盤)の録音リストや発売リストを、同じ確度で裏づけられる一次資料としては、今回の調査範囲では十分に確認できませんでした。そこで本節では、1897年10月に日付が結びつく録音事例と、同時期の円盤録音産業側で起きた出来事(10月の流通・体制に影響し得るが、10月当日の出来事と断定できない事項はその旨を明記)を分けて整理します。

ジャコモ・プッチーニの肉声記録(ウィーン、1897年10月)

作曲家ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini, 1858–1924)がウィーン滞在中に残した音声記録が、1897年10月の出来事として紹介されています。内容は本人の肉声で、同記録が「著名人の声の肖像」を集める趣旨の体系に組み込まれていた、と説明されています(ただし、録音日・録音方式・媒体種別などの技術情報は当該ページの記述だけでは確定できません)。

ベルリナー・グラモフォンの設備喪失(1897年9月29日)と復旧(数か月以内)

円盤レコードの先駆的企業であるベルリナー・グラモフォン(Berliner Gramophone)では、1897年9月29日にワシントンのマスタリング設備が火災で失われたこと、ただし「数か月以内」に再稼働したことが記されています。これは10月そのものの日付ではありませんが、1897年10月の円盤録音ビジネス環境(供給体制・拠点移転)を理解するうえで直接の前提となる出来事です。

ベルリナー・グラモフォンの英国展開に向けた動き(1897年)

アメリカ議会図書館(Library of Congress)の解説では、エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)が1897年に関係者をイングランドへ派遣したことが述べられています。派遣の具体的な月日までは同ページから確定できませんが、1897年10月時点で「円盤録音の国際展開」が進行していたことを示す周辺事情として位置づけられます。