1924年に録音された音楽
1924年は、戦後世界の不安定な均衡が、政治制度・国際枠組み・メディア技術の三方向から再編されていく転換点でした。1月21日、ウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin, 1870–1924)が死去し、ソビエト連邦では1月31日に「1924年ソビエト連邦憲法(1924 Constitution of the Union of Soviet Socialist Republics)」が採択され、国家の統治構造が定式化されます。イギリスでは1月22日、ラムジー・マクドナルド(Ramsay MacDonald, 1866–1937)が首相となり、労働党の少数政権「第一次マクドナルド内閣(First MacDonald ministry)」が成立しました。トルコでは3月3日、トルコ大国民議会(Grand National Assembly of Turkey)がオスマン・カリフ制の廃止(Abolition of the Caliphate)を決議し、宗教権威と国家の関係をめぐる近代的再編が象徴的に進みます。
経済と国際政治は「賠償」と「信用」を軸に制度設計が動きました。ドイツ賠償問題では、チャールズ・G・ドーズ(Charles G. Dawes, 1865–1951)の名で知られる「ドーズ案(Dawes Plan)」が9月1日に発効し、金融支援と支払枠組みを通じた安定化が試みられます。他方、国際連盟(League of Nations)は10月1日に「紛争の平和的解決のための議定書(Protocol for the Pacific Settlement of International Disputes)」を採択し、10月2日に署名開放しました。アメリカ合衆国では「1924年移民法(Immigration Act of 1924, Johnson–Reed Act)」が成立し(署名5月24日、発効5月26日)、国籍別割当とアジア系排除を含む移民統制が制度として固定化されます。11月4日の「1924年アメリカ合衆国大統領選挙(1924 United States presidential election)」ではカルビン・クーリッジ(Calvin Coolidge, 1872–1933)が再選し、民主党のジョン・W・デービス(John W. Davis, 1873–1955)と、進歩党のロバート・M・ラ・フォレット(Robert M. La Follette, 1855–1925)が対抗して三つ巴の構図を形づくりました。
同時に、音・映像・情報のインフラが「大衆の同時体験」を拡張します。6月10日、アメリカの「1924年共和党全国大会(1924 Republican National Convention)」は大統領候補指名の現場がラジオ中継され、政治と電波の結びつきが強まります。2月14日にはコンピューティング=タビュレーティング=レコーディング・カンパニー(Computing-Tabulating-Recording Company, CTR)が「インターナショナル・ビジネス・マシーンズ(International Business Machines, IBM)」へ改称し、トマス・J・ワトソン・シニア(Thomas J. Watson Sr., 1874–1956)の下で記録と計算の産業化が加速します。映画産業でも4月17日にメトロ=ゴールドウィン=メイヤー(Metro-Goldwyn-Mayer, MGM)が創設され、スタジオ体制は娯楽の供給網を一段と巨大化させました。
文化面では、1月25日–2月5日の「第1回冬季オリンピック(I Olympic Winter Games, Chamonix 1924)」と、5月4日–7月27日の「第8回オリンピック競技大会(Games of the VIII Olympiad, Paris 1924)」が、祝祭を世界規模のイベントへ押し広げます。音楽では2月12日、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin, 1898–1937)が「ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)」をニューヨークのイオリアン・ホール(Aeolian Hall)で初演し、ポール・ホワイトマン(Paul Whiteman, 1890–1967)の楽団とともに新しい都市の響きを大舞台へ定着させました。思想・文学では10月、アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896–1966)が「シュルレアリスム宣言(Manifeste du surréalisme)」を公刊し、フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883–1924)は6月3日に死去します。科学ではエドウィン・ハッブル(Edwin Hubble, 1889–1953)が1924年の観測でアンドロメダ星雲にセファイド変光星を見いだし、渦巻星雲が銀河系外天体であることを裏付ける決定的証拠として位置付けられました。さらにルイ・ド・ブロイ(Louis de Broglie, 1892–1987)は学位論文『量子理論の研究(Recherches sur la théorie des quanta)』で物質波の発想を提起し、量子論の地平を押し広げます。国境と媒体が同時に再編されるこの年の動きは、録音・放送・映画が相互に影響しながら大衆文化の回路を太くしていく前提となりました。
