1939年に録音された音楽
1939年は、戦間期の国際秩序が決定的に崩れ、戦争・外交・科学技術・大衆文化が同時に加速した年でした。スペイン内戦(Spanish Civil War)は1939年4月1日に終結し、フランシスコ・フランコ(Francisco Franco, 1892–1975)が勝利を宣言します。ヨーロッパでは、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)が率いるドイツ国(German Reich)が1939年3月15日にボヘミア・モラヴィア保護領(Protectorate of Bohemia and Moravia)を成立させ、チェコスロバキア共和国(Czechoslovak Republic)の解体を既成事実化しました。さらにベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)のイタリア王国(Kingdom of Italy)は1939年4月7日にアルバニア王国(Kingdom of Albania)へ侵攻し、5月22日に鋼鉄条約(Pact of Friendship and Alliance between Germany and Italy)を締結して同盟関係を固定します。
外交の転換点は1939年8月23日の独ソ不可侵条約(Treaty of Nonaggression Between Germany and the Union of Soviet Socialist Republics)でした。ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Joachim von Ribbentrop, 1893–1946)とヴャチェスラフ・モロトフ(Vyacheslav Molotov, 1890–1986)が署名したこの合意ののち、1939年9月1日にドイツ国がポーランド共和国(Republic of Poland)へ侵攻し、ヨーロッパの第二次世界大戦(World War II)が始まります。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)とフランス第三共和政(French Third Republic)は1939年9月3日にドイツ国へ宣戦布告しました。続いてソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)が1939年9月17日にポーランド共和国東部へ侵攻し、両国は1939年9月28日の独ソ国境友好条約(German-Soviet Boundary and Friendship Treaty)で勢力圏の線引きを具体化します。
人の移動と「拒否」もまた1939年を象徴します。ドイツ国の客船セントルイス号(MS St. Louis)は1939年5月にユダヤ人難民を乗せて出港しましたが、上陸が認められず、アメリカ合衆国(United States of America)とカナダ(Canada)でも受け入れが実現しないまま、最終的に西欧諸国へ分散上陸する事態となりました。戦争は年末にさらに拡大し、ソビエト社会主義共和国連邦は1939年11月30日にフィンランド共和国(Republic of Finland)へ侵攻して冬戦争(Winter War)が始まります。国際連盟(League of Nations)は1939年12月14日にソビエト社会主義共和国連邦を除名し、集団安全保障の仕組みが機能不全へ向かっていることを露呈させました。アメリカ合衆国ではフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt, 1882–1945)が1939年11月4日に1939年中立法(Neutrality Act of 1939)へ署名し、欧州戦争と貿易政策の結びつきが制度面でも強まります。
アジアでも緊張は高まり、1939年5月から9月にかけて、満州国(Manchukuo)国境に近いハルハ河(Khalkhin Gol)流域での武力衝突(Battle of Khalkhin Gol)が拡大し、1939年9月16日に停戦へ至りました(ノモンハン事件)。また、アメリカ合衆国は1939年7月26日に日米通商航海条約(Treaty of Commerce and Navigation between the United States and Japan, 1911)の廃棄を通告し、対立が外交交渉から経済措置へ移っていく前段が形になります。科学の側でも、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)とレオ・シラード(Leo Szilard, 1898–1964)が核兵器開発の可能性を警告したアインシュタイン=シラード書簡(Einstein–Szilard letter)が1939年10月11日にルーズベルトへ届けられ、核研究が政策課題として扱われ始めました。
同時に1939年は、録音・放送・映画が「同時代の空気」を封じ込めた年でもあります。ニューヨーク万国博覧会(New York World’s Fair)は1939年4月30日に開幕し、公開実演としてのテレビジョン放送(television broadcasting)が大都市のイベントと結びつきました。英国放送協会テレビジョン・サービス(BBC Television Service)は1939年9月初旬に放送を停止し、戦争が新しいメディアの展開にも直結したことが示されます。音盤ではブルーノート・レコード(Blue Note Records)が1939年1月6日に最初の録音セッションを行い、ジャズの録音史に新しい拠点が生まれました。さらに、グレン・ミラー(Glenn Miller, 1904–1944)による「イン・ザ・ムード(In the Mood)」は1939年8月1日に録音され、ビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915–1959)の「ストレンジ・フルーツ(Strange Fruit)」も1939年4月20日にコモドア・レコード(Commodore Records)で録音されます。映画では『オズの魔法使(The Wizard of Oz)』が1939年8月25日に公開され、『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』は1939年12月15日にアトランタ(Atlanta)でワールドプレミアを迎えました。コミックの世界でもバットマン(Batman)が1939年5月に『ディテクティヴ・コミックス 第27号(Detective Comics no. 27)』でデビューし、戦争へ傾く社会のただ中で、物語と音と映像が人々の想像力を支える巨大なインフラになっていきます。
