1890年5月に録音された音楽
1890年5月は、第二インターナショナルの呼びかけで5月1日に米国・欧州・中南米など各地で国際メーデー(International Workers’ Day)の大規模デモが初めて同時多発的に行われる一方、エディンバラでは国際博覧会(International Exhibition of Science, Art & Industry)が5月1日に開幕し、北米ではノヴァスコシア州総選挙(5月14〜21日)やケンタッキー・ダービー(5月14日)が実施され、オセアニアでもタスマニアで地震が報じられるなど、社会運動・文化催事・政治・スポーツ・自然現象が交差した月でした。
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1890年5月の録音に関する情報のまとめ
1890年5月の録音まわりの動きは、個々の録音日が「1890年前後」「1890年春(2〜5月)」のように幅をもって伝えられる例が多いです。ここでは、一次資料・博物館/アーカイブの目録で「1890年2〜5月頃」とされる録音(特にトーキング・ドール用シリンダー)と、1890年5月に日付が付く業界会議・特許を、録音史の文脈でピックアップしています。
「Twinkle, Twinkle, Little Star」例2(トーキング・ドール用)
トーマス・エジソン(Thomas Edison, 1847–1931)のトーキング・ドール向けに作られた複製用シリンダーの一つで、蝋(brown wax)2分筒です。録音・製造時期は「1890年2〜5月頃」とされ、同一曲でも複数テイクが残る点が“量産商品としての録音”を示します。

「Twinkle, Twinkle, Little Star」例3(トーキング・ドール用)
同じくトーキング・ドール用の蝋筒で、同曲の別例(別テイク)として整理されています。1890年春(2〜5月)という幅のある年代付けが、“日付よりも製造ロット”で管理されがちな当時の実務を反映します。

「Little Jack Horner」(トーキング・ドール用)
童謡(ナーサリー・ライム)を短い音声にまとめた、トーキング・ドールのための定番レパートリーです。1890年2〜5月頃の蝋筒として提示されており、子ども向け商品が“録音コンテンツの市場”を押し広げた例になります。

「There Was a Little Girl」(トーキング・ドール用)
短い語り・歌で構成された、トーキング・ドール用の複製蝋筒です。年代が1890年2〜5月頃とされる一群に含まれ、同時期に“商品に同梱される録音”が体系的に作られていたことが分かります。

「Now I Lay Me Down to Sleep」(トーキング・ドール用)
祈りの文句を収めたトーキング・ドール用蝋筒で、宗教的/家庭的テキストも商品録音に組み込まれていました。1890年2〜5月頃の制作とされ、家庭内で“録音を聴く”場面の拡張を示します。

「Jack and Jill」(トーキング・ドール用)
童謡を収録したトーキング・ドール用の複製蝋筒で、1890年2〜5月頃の一群として整理されています。後世に残った少数例からでも、当時すでに“同型録音を大量に配る”志向が見えてきます。

トーキング・ドール用録音の「作り方」が一般誌で語られる(1890年前後の同時代的証言)
トーキング・ドールの録音制作は同時代の雑誌記事(Scientific American, 1890年4月26日号)でも言及され、仕組み自体が“新奇な録音産業ニュース”として消費されました。1890年5月の月ページでは、録音そのものだけでなく「録音が話題になる社会的位相」も補助線になります。
サウスダコタ・フォノグラフ社が「音楽シリンダーの実演会」を開催(1890年5月17日)
サウスダコタ・フォノグラフ社(South Dakota Phonograph Company)は1890年5月17日に招待制の実演会を行い、「さまざまな音楽シリンダー」を聴かせる興行を告知しています。さらに25セントで音楽シリンダーを聴ける“オフィス公開”も行われ、録音物が早い段階で娯楽商品として流通したことが読み取れます。
American Record Companies and Producers, 1888–1950: An Encyclopedic History (Second Edition)
アイオワ・フォノグラフ社で「業務用途より娯楽用途が好調」と報じられる(1890年5月下旬)
アイオワ・フォノグラフ社(Iowa Phonograph Company)は1890年5月下旬時点で事業としてはまだ立ち上がり途上とされつつ、娯楽用途はよりうまく回っていると報じられています。ここから、1890年5月の現場感として“音楽・芸能のシリンダー需要”がビジネスの推進力だったことが分かります。
American Record Companies and Producers, 1888–1950: An Encyclopedic History (Second Edition)
「ローカル・フォノグラフ会社」初の年次大会がシカゴで開催(1890年5月28–29日)
米国のローカル・フォノグラフ会社が集まる第1回年次大会が、1890年5月28–29日にシカゴで開催されたことが、当時の会議録(Proceedings)として明示されています。録音物(音楽シリンダー)をどう扱い収益化するかは、技術だけでなく“業界の合議”として形成されていきました。
https://octaverter.com/pdf/sph01.pdf
エジソンが「フォノグラフ用カッティング・ツール」を実行日1890年5月24日で提出(特許関連)
フォノグラフの録音溝を刻むカッティング・ツール(cutting-tool)に関する資料で、実行日が1890年5月24日、出願が同年5月27日として整理されています。録音の再現性と耐久性(工具材料や構造)が、1890年5月の段階で“特許の言語”として詰められていたことが重要です。
エジソンが「フォノグラフ用リプロデューサー」を1890年5月27日に出願(特許関連)
PHONOGRAPH-REPRODUCER(リプロデューサー/再生機構)に関する特許で、出願日が1890年5月27日と明記されています。録音史的には“録る”だけでなく“安定して再生する”ための機構開発が並走していたことを、月単位で示せます。
