1892年7月に録音された音楽

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1892年7月に録音された音楽

1892年7月は、労働争議の激化と政治の転回、そして反植民地運動と学術制度の整備が同時進行した月でした。アメリカ合衆国ペンシルベニア州ホームステッドではホームステッド争議(Homestead Strike)が1892年7月6日に武力衝突へ発展し、カーネギー・スチール・カンパニー(Carnegie Steel Company)の経営側を担ったヘンリー・クレイ・フリック(Henry Clay Frick, 1849–1919)が、1892年7月23日にアレクサンダー・バークマン(Alexander Berkman, 1870–1936)に襲撃されました。グレートブリテン及びアイルランド連合王国では総選挙が1892年7月4日–7月26日に実施され、ロバート・セシル(Robert Cecil, 1830–1903)率いる保守党(Conservative Party)が過半数を失って政権の帰趨が揺れます。フィリピンではアンドレス・ボニファシオ(Andrés Bonifacio, 1863–1897)が、カタアスタアサン・カガランガラン・カティプナン・ン・マガ・アナク・ン・バヤン(Kataastaasan Kagalanggalang Katipunan ng mga Anak ng Bayan)を1892年7月7日に結成し、反植民地運動が秘密結社として組織化されました。学術面ではアメリカ心理学会(American Psychological Association)が1892年7月8日にクラーク大学(Clark University)で創設され、専門学会という近代的な知のインフラが積み上がっていきます。

この月の確認されている録音:0曲

1892年7月の録音に関する情報のまとめ

1892年7月の「録音」を月単位で確定できる一次資料は多くありませんが、当時のレパートリーや制作・精算の痕跡から、その月に動いていた録音ビジネスの輪郭は追えます。ここでは、1892年7月と結びつけて確認できる記録(支払い台帳・ディスコグラフィ記述など)を軸に、録音活動の見え方を整理します。

ニューヨーク

ニューヨーク・フォノグラフ・カンパニー(New York Phonograph Company)については、パトリック・フェスター(Patrick Feaster, 生没年不明)が写真資料をもとに編纂した支払い記録のカレンダーが公開されており、1892年7月中にも「音楽用レコード(主にシリンダー)」に関する支払いが継続していたことが確認できます。これは「特定日の録音実施」を直接証明するものではない一方、少なくとも1892年7月の営業サイクルの中で、歌手や制作側への精算が発生していたことを示し、月ページに置ける録音関連の確実な手掛かりになります。

ノース・アメリカン・フォノグラフ

北米フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)は、地域フォノグラフ会社網を束ねる枠組みとして流通・営業面で重要でした。トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が同社の社長に就いた時期については、トーマス・エジソン・ペーパーズ(Thomas Edison Papers)は1892年6月とし、アメリカ議会図書館(Library of Congress)は1892年7月と記しており、月の確定は資料間で不一致です。ただし、いずれの記述でも「1892年夏」に経営主導権が強まった流れは共通しており、1892年7月は、録音物の販売や複製・流通の方針が各地の事業体へ波及し得たタイミングとして位置づけられます(具体の録音タイトル単位での影響は資料上確認できません)。

コロンビア

コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)のディスコグラフィ記述では、題名の中に地名や時事を思わせる語が含まれる例が確認できます。例えば、ブリリアント・カルテット(Brilliant Quartette, 詳細不明)のレパートリーとして「The fight for home and honor(アメリカ合衆国ペンシルベニア州ホームステッド)」のように地名注記を伴う題目が挙げられており、同時代の出来事や場所が、録音レパートリーの命名・売り出しに入り込んでいたことがうかがえます。ただし、この題目が1892年7月のホームステッド争議(Homestead Strike)そのものを指すか、また録音・販売がいつ行われたかは、この記述だけでは確定できません。