1892年9月に録音された音楽

この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

1892年9月に録音された音楽

1892年9月は、公衆衛生の危機と植民地戦争、学校儀礼と職業教育の制度化が同時に進んだ月でした。ドイツ帝国のハンブルク(Hamburg)では8月中旬–9月中旬にコレラ流行が深刻化し、都市の衛生行政と水道対策が強く意識されました。西アフリカでは第二次フランス・ダホメ戦争(Second Franco-Dahomean War)の戦闘が続き、19日にドグバの戦い(Battle of Dogba)が起きました。アメリカ合衆国ではフランシス・ベラミー(Francis Bellamy, 1855–1931)が作成した忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)がユースズ・コンパニオン(The Youth’s Companion)9月8日号に掲載され、学校行事と国民意識の結びつきが広がります。イギリスでは9月30日にボロー・ポリテクニック・インスティテュート(Borough Polytechnic Institute)が公式に開かれ、都市部の実務教育の拠点が整備されました。

この月の確認されている録音:0曲

1892年9月の録音に関する情報のまとめ

1892年9月の録音を月単位で確定できる個別タイトルや録音日・発売日の情報は、参照した主要な会社史・概説資料では確認できません。一方で、北米の蝋管(ワックス・シリンダー)市場では、ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)が1892年7月にトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)を社長に据え、販売の集中化と権利整理を進めたことが整理されています。また、コイン投入式の展示が娯楽録音の需要を押し上げた経緯も同資料で述べられており、1892年9月は「個別録音の確定」よりも「媒体と流通モデルの変化」が同時進行していた時期として位置づけられます。

トーマス・アルバ・エジソン社長就任と販売集中化

ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)の整理では、同社は1892年6月に資金調達(社債発行)を行い、1892年7月にエジソンが社長に就任したとされています。同時期に、地域会社の権利に対してロイヤルティを支払う形で販売を集中化し、蓄音機の「貸与中心」から「販売中心」へと比重を移した流れが示されています。

コイン投入式展示と娯楽録音の拡大

ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)の整理では、オートマティック・フォノグラフ・エキシビション・カンパニー(Automatic Phonograph Exhibition Company)が1890年2月にコイン投入機構をめぐる事業を開始し、娯楽録音(音楽・物語・冗談など)の公開再生が収益化しやすい形として広がったことが述べられています。1892年時点でも、この流れは録音物の需要と流通の方向性に影響する前提条件として位置づけられます。

茶色ワックス円筒とコロンビアの初期展開

蝋管の概説では、1892年頃の円筒は収集家の呼称として「茶色ワックス(brown wax)」と呼ばれる蝋によって作られていたことが述べられています。また、カリフォルニア大学サンタバーバラ校図書館(University of California, Santa Barbara Library)の解説「Columbia Cylinders」では、コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)が1890年に茶色ワックス録音のシリーズを出し始めたとされています。1892年9月は、こうした蝋管商品が拡大する過程の中に置かれます。