1893年2月に録音された音楽
1893年2月は、アメリカ合衆国で金融不安が表面化し、フィラデルフィア・アンド・リーディング鉄道(Philadelphia and Reading Railroad)の破綻が投資家心理を揺らして、のちに「1893年恐慌(Panic of 1893)」と呼ばれる景気後退の出発点の一つとして語られます。同じ月、トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas A. Edison, 1847–1931)の研究所敷地内では、映画撮影用の施設「ブラック・マリア(Black Maria)」が完成し、映像メディアの量産に向けた基盤が整いました。また、アメリカ合衆国がハワイ併合条約に調印したことも、この時期の太平洋地域の政治状況を示す出来事として位置づけられます。
この月の確認されている録音:0曲
1893年2月の録音に関する情報のまとめ
1893年2月の「録音」そのもの(特定の楽曲・演目の録音日など)を月内の確定情報としてまとめた一次資料は、公開情報の範囲では十分に確認できません。一方で、円筒録音をめぐる企業再編や係争を示す同時代資料は確認でき、録音メディアを事業として運用する枠組みがこの時期も流動的だったことがうかがえます。
ニュージャージー・フォノグラフ・カンパニーの再編(1893年2月16日)
ニュージャージー・フォノグラフ・カンパニー(New Jersey Phonograph Company)は、1893年2月16日にユナイテッド・ステイツ・フォノグラフ・カンパニー(United States Phonograph Company)として再編されたとされています。ただし、同年中もしばらくは「ニュージャージー」の名義で広告が続いたとも説明されており、法人名と対外表示が完全に一致しない移行期の実態が示されています。
トーマス・アルバ・エジソン宛書簡にみる円筒フォノグラフ訴訟(1893年2月24日)
1893年2月24日付のアルフレッド・オード・テイト(Alfred Ord Tate, 生没年不明)からトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)への書簡が、訴訟(Litigation)および円筒フォノグラフ(Cylinder phonograph)に関する文脈で記録されています。メタデータ上、アメリカン・グラフォフォン・カンパニー(American Graphophone Company)などの関係者・関係先が「Mentioned」として付与されており、この時期の円筒録音技術・事業をめぐる法的争点の存在を裏づける同時代資料の一つになります。
ブラック・マリア完成(1893年2月)
ブラック・マリア(Black Maria)は1893年2月に完成したとされ、映画撮影のために採光を最大化する構造(回転・開閉屋根など)を備えた施設だったことが説明されています。これは音の録音史そのものではありませんが、記録技術が「複製可能なメディア」として産業化していく同時期の動きとして、録音メディア史と並走する重要な周辺情報になります。
