1937年に録音された音楽
1937年は、国際秩序が「局地の衝突」から「世界規模の連鎖」へと滑り落ちていく過程が、政治・軍事・経済・技術・メディアの各面で同時に可視化された年でした。東アジアでは、1937年7月7日の盧溝橋事件(七七事変)を契機に、大日本帝国と中華民国の武力衝突が拡大します。上海では第二次上海事変としても整理される大規模戦闘(英語圏ではBattle of Shanghaiとして1937年8月13日–1937年11月26日が代表的な期間として扱われる)が起き、都市戦が長期化していきました。日本の国内政治でも、1937年6月4日に近衛文麿内閣(第一次近衛内閣)が成立し、戦線拡大と外交摩擦が同じ時間軸で進行します。さらに1937年12月12日のパナイ号事件では、揚子江上でアメリカ合衆国海軍砲艦パナイ(USS Panay, PR-5)が攻撃を受けて沈没し、戦場の拡大が第三国の利害と直結し得ることを示しました。
ヨーロッパではスペイン内戦(Spanish Civil War)が続き、1937年4月26日のゲルニカ爆撃(Bombing of Guernica)は、空爆が民間人と都市生活を破壊する現代戦の象徴として記憶されます。パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881–1973)は同年に絵画『ゲルニカ(Guernica, 1937)』を制作し、破壊の光景を視覚文化の中へ刻み込みました。外交面では、イタリア王国(Kingdom of Italy)が1937年11月6日に防共協定(Anti-Comintern Pact)へ加入し、反共を軸にした国際的な陣営化が進みます。ソビエト社会主義共和国連邦では大粛清(Great Terror)が頂点へ向かい、内務人民委員部(Narodny Komissariat Vnutrennikh Del, NKVD)命令第00447号(1937年7月30日署名)にもとづく大量弾圧が、1937年8月5日に開始された「作戦」として運用されました。国家が制度として暴力を加速させる局面が、戦場の外側でも深刻化していったことが分かります。
巻き込まれ回避と秩序維持の間で、各国の政策も揺れます。アメリカ合衆国では1937年5月1日に1937年中立法(Neutrality Act of 1937)が成立し、武器輸出の制限や現金払い・自国船積み(cash-and-carry)など、国際紛争との距離を制度として定めました。一方でフランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt, 1882–1945)は1937年10月5日の隔離演説(Quarantine Speech)で、侵略の連鎖が世界全体の安全を侵食するという問題提起を行います。経済面ではアメリカ合衆国で1937–1938年の景気後退(Recession of 1937–1938)が進行し、回復の脆さが政治と世論をさらに不安定化させました。制度の再設計という側面では、アイルランドでアイルランド憲法(Constitution of Ireland / Bunreacht na hÉireann)が1937年12月29日に施行され、国の枠組みが更新されます。
技術とメディアは、この時代の空気を拡散し、同時に「記録」として固定する装置にもなりました。1937年5月6日、硬式飛行船LZ 129 ヒンデンブルク号(LZ 129 Hindenburg)がニュージャージー州レイクハーストで炎上事故を起こし、商業飛行船の将来に決定的な影響を与えます。1937年5月12日には、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国でジョージ6世(George VI, 1895–1952)の戴冠式が挙行され、英国放送協会(British Broadcasting Corporation, BBC)は行列のテレビ屋外中継を実施して、映像メディアの射程を押し広げました。インフラの象徴としては、サンフランシスコでゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)が1937年5月27日に開通し、ニューヨーク地域ではリンカーン・トンネル(Lincoln Tunnel)の第1トンネルが1937年12月22日に開通しています。航空史ではアメリア・イアハート(Amelia Earhart, 1897–1937)が1937年7月2日に飛行中の消息を絶ち、技術と冒険が大衆の記憶へ強く刻まれる出来事となりました。
科学技術の前進もまた、次の時代を準備しました。パワー・ジェッツ(Power Jets Ltd.)ではフランク・ホイットル(Frank Whittle, 1907–1996)の設計によるターボジェットが1937年4月12日に試験運転へ到達し、航空の前提が更新され始めます。情報技術の源流としては、クロード・シャノン(Claude E. Shannon, 1916–2001)が1937年に論文「A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits」をまとめ、リレー回路とブール代数の対応を体系化しました。医学ではマックス・タイラー(Max Theiler, 1899–1972)が1937年に黄熱17Dワクチンを確立し、感染症対策の地平を広げています。
文化面では、音と像が結び付いた大衆作品が新段階へ進みました。ウォルト・ディズニー・プロダクション(Walt Disney Productions)が制作した長編アニメーション映画『白雪姫と七人のこびと(Snow White and the Seven Dwarfs, 1937)』は1937年12月21日にロサンゼルスで初公開され、映画が音楽を伴う物語体験として大規模に流通し得ることを示します。文学ではジョン・ロナルド・ルーエル・トールキン(J. R. R. Tolkien, 1892–1973)の小説『ホビットの冒険(The Hobbit, or There and Back Again, 1937)』が1937年9月21日に刊行され、想像力の世界が長期的に大衆文化を支える土台となりました。舞台ではマーク・ブリッツスタイン(Marc Blitzstein, 1905–1964)のミュージカル『ゆりかごは揺れる(The Cradle Will Rock, 1937)』が1937年6月16日に初演され、社会不安が表現形式にも影響することを示します。パリでは現代生活における芸術と技術の国際博覧会(Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne, 1937)が開催され、芸術と技術が国家の自己演出と結び付く姿が際立ちました。1937年の世界は、戦争と恐慌の影が濃い一方で、放送・映画・出版・科学が同時代の情報と感情を大量に生み出し、後世の記録媒体として残していく転換点でもありました。
