1887年に録音された音楽
1887年(明治20年)は、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が1877年に発明したフォノグラフが、「不思議な実験機械」から、事務用口述や娯楽用途を見据えた商品へと移行しつつあった時期です。1887年10月にはエジソン・フォノグラフ・カンパニーが設立され、円筒型録音機の改良と販売体制が整えられていきました。
一方で、ベル家・テインターらによるグラフォフォン(Graphophone)の開発が進み、蝋でコーティングしたシリンダーと横振動溝を用いる改良型の録音機が、ビジネス用口述機として市場に出始めます。これらの技術は、後のポピュラー音楽のレコード産業を支える録音・再生メディアの基盤となりました。
同じ1887年には、エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)が、後に「グラモフォン」と呼ばれる平板ディスクの録音・再生方式についての特許を出願し、縦振動ではなく横振動による溝をディスクに刻む技術を開発しました。これは、のちのSPレコードやLPレコードへとつながる決定的な転換点となります。
しかし、現時点で公開されている音源と研究資料を総合すると、「録音年が1887年」「音源が現存し再生可能」「内容が音楽(歌唱や器楽演奏)である」という条件をすべて満たす録音は、確認できていません。現存する最古級の音楽録音として広く知られているのは、翌1888年6月29日、ロンドンのクリスタル・パレスで行われたヘンデル作曲《Israel in Egypt》の合唱録音です。
この年の確認されている録音:0曲
1887年の「音楽以外」の録音で日付が確定しているもの
1888年には、ホレイショ・ネルソン・パワーズ(Horatio Nelson Powers, 1826–1901)による詩の朗読「The Phonograph’s Salutation」や、ロンドン・リトルメンロでのプレス向け晩餐会トースト録音など、録音日と内容が一次資料レベルでかなり明確なスピーチ録音が複数確認されています。
これに対して1887年については、アメリカ議会図書館やスミソニアン博物館、主要なディスコグラフィおよび研究論文を参照しても、「録音日が明示され、音源が現存し、発話内容が特定できる“音楽以外”の録音」を、1887年の出来事として確実に位置づけられる例は見つかりません。
この年には、ビジネス用口述・議事録・法廷記録などを想定した試験的な録音が数多く行われていたと考えられますが、それらの多くは再利用や廃棄によって現物が残っておらず、ラベル・台帳・機器に刻まれた刻印だけでは「1887年録音」と断定できないケースがほとんどです。
1887年以前にも、フランク・ランバート(Frank Lambert, 生没年不詳)の「Experimental Talking Clock(実験用トーキングクロック)」や、アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847–1922)らヴォルタ研究所による1881〜1885年頃の試験録音など、再生可能な実験音源はいくつか残されています。これらは主に技術実験や口述用途を想定したもので、タイトルや演者が明確な「音楽録音」というよりは、録音技術の成立過程を示す資料として位置づけられます。1887年は、こうした前史的な実験録音と、翌1888年以降に現れてくる商業的・音楽的な録音(《Israel in Egypt》やトーキングドール用シリンダーなど)との橋渡しをする年だったといえます。
1887年前後に録音された可能性のある音源(録音年・日付不確定)
「1887年ごろ」に行われたとされる実験録音のうち、後年の研究や復元によって音源が知られているもの、あるいは録音実施の証言が残っているものをまとめます。いずれも録音年・日付には諸説があり、「1887年の確定録音」として年表に計上するのではなく、「1887年前後の候補」として別枠で扱うのが安全だと考えています。
ベルリナーの最初期グラモフォン実験ディスク(エミール・ベルリナー, 1887年頃)
エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)は、1887年に横振動溝を用いるディスク式録音方式の特許を出願し、ガラス板や金属板に音声を刻む実験を開始しました。その過程で、ベルリナー自身の声による短い朗読や、簡単な歌(たとえば「Twinkle, Twinkle, Little Star」など)が録音されたとされ、後年の復元音源や録音史サイトでは「1887–1888年ごろの最初期ディスク録音」として紹介されています。
ただし、現存ディスクの物理的特徴やラベル、関連文書を総合しても、個々の音源について「録音年1887年」と断定するのは難しく、多くは「1887年頃」「1887–1888年の実験録音」といった幅を持った表現になっています。そのためMOPMでは、ベルリナーの初期グラモフォン実験ディスクを、1887年前後の技術的背景を示す重要例として紹介しつつも、曲数カウントには含めず、この小見出し内にとどめておきます。
エジソンのトーキングドール用シリンダー試作録音(トーマス・アルバ・エジソン, 1888–1890年頃)
エジソンのトーキングドール(Edison’s Phonograph Doll)は、子ども向け人形の胸部に小型フォノグラフを組み込む試みで、1880年代後半から構想が練られ、1888年初頭には玩具用フォノグラフ機構の試作実験が本格化しました。1888年11月には「玩具用フォノグラフ」の試作品がエジソン・フォノグラフ・ワークスからトーキングドール会社に示された記録が残っています。市販は1890年春のごく短期間に限られました。
現在までに、童謡「Twinkle, Twinkle, Little Star」や「Hickory Dickory Dock」などを収めたトーキングドール用シリンダーが光学的にスキャンされ、音として復元されていますが、個々の録音が1888年の試作段階のものか、1890年前後の量産期のものかを、音源だけから区別することは困難です。いくつかの解説記事では「1888–1890年ごろの録音」と幅を持たせて紹介されており、MOPMでも同様に「1887年前後の試作録音の一例」として本セクションに位置づけるに留めます。
ベル=テインター系グラフォフォンの業務用録音(チチェスター・A・ベル/チャールズ・サムナー・テインター, 1880年代後半)
チチェスター・A・ベル(Chichester A. Bell, 1848–1924)とチャールズ・サムナー・テインター(Charles Sumner Tainter, 1854–1940)は、アレクサンダー・グラハム・ベルとともに、蝋コーティング・シリンダーと横振動溝を用いるグラフォフォンを開発し、1880年代半ばに特許を取得しました。グラフォフォンは当初から、音楽よりもビジネス用口述や議事録作成を主な用途とする機械として設計されていました。
1887年には、彼らの特許がアメリカン・グラフォフォン・カンパニーに譲渡され、橋脚工場や縫製工場の設備を利用した事務用グラフォフォンの製造が開始されました。これらの機械を用いた口述録音や実演デモは、官公庁・企業・速記大会などさまざまな場で行われたと考えられますが、個別のシリンダーについて録音日・話者・内容が明記され、かつ現存する例はごくわずかです。したがって、1887年のグラフォフォン録音は、録音史の流れを考えるうえでは非常に重要であるものの、MOPMの曲単位リストに具体的なトラックとして載せることはできない状態です。本ページでは「録音年・内容不詳の業務用録音が多数存在した可能性が高い」というレベルで紹介し、1888年以降に現れてくるより具体的な録音例との橋渡しとして扱います。
References
- https://en.wikipedia.org/wiki/Phonograph
- https://www.loc.gov/collections/edison-company-motion-pictures-and-sound-recordings/articles-and-essays/history-of-edison-sound-recordings/history-of-the-cylinder-phonograph/
- https://www.britannica.com/technology/Graphophone
- https://www.britannica.com/biography/Charles-Sumner-Tainter
- https://www.dpma.de/english/our_office/publications/milestones/inventionsthatmadehistory/grammophon/index.html
- https://www.tuev-nord.de/en/wissen/explore/a-brief-history-of-sound-recording-part-1/
- https://centuriesofsound.com/2017/03/13/1887-1888/
- https://www.youtube.com/watch?v=j_DonxbkKMI
- https://en.wikipedia.org/wiki/Edison%27s_Phonograph_Doll
- https://www.nps.gov/edis/learn/photosmultimedia/a-cultural-history-of-the-edison-talking-doll-record.htm
- https://www.nps.gov/edis/learn/photosmultimedia/talking-doll-faq-concept-design-and-technical-development.htm
- https://www.edisontinfoil.com/doll.htm
- https://www.cyberbee.com/edison/cylinderbackup.html
- https://www.gutenberg.org/files/30112/30112-h/30112-h.htm
- https://phonozoic.net/volta-discography.pdf
