1890年12月に録音された音楽

この記事は約8分で読めます。
スポンサーリンク

1890年12月に録音された音楽

1890年12月、都市の近代化は地下へも伸び、イギリスでシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道(City and South London Railway)が1890年12月18日に一般営業を開始し、電気で走る深層地下鉄という新しい移動の感覚を日常へ持ち込みました。一方、アメリカ合衆国では先住民社会への圧力が極限まで高まり、サウスダコタ州で1890年12月29日にウンデッド・ニーの虐殺(Wounded Knee Massacre)が起き、アメリカ合衆国陸軍(United States Army)とラコタ(Lakota)の衝突は多数の死者を出しました。遠距離のニュースが電信で加速し、都市の騒音と家庭の娯楽が拡大していく時代に、記録技術と複製メディアは「同じ音や出来事が別の場所へ運ばれる」感覚を強め、世界は速度と緊張を同時に増していきました。

この月の確認されている録音:0曲

5日(16曲)

TitleArtist
Nickols MarchWm Tuson
Ed Issler
Irene WaltzWm Tuson
Ed Issler
The Skirt DanceWm Tuson
Ed Issler
Coming Through The Rye & VarWm Tuson
Ed Issler
Senator WaltzWm Tuson
Ed Issler
Fortuna Waltz From CloverWm Tuson
Ed Issler
Romance & Air & Var.Wm Tuson
Ed Issler
Melrose YorkeWm Tuson
Ed Issler
AndanteWm Tuson
Ed Issler
Love’s DreamlandWm Tuson
Ed Issler
Cavatina From ErnaniWm Tuson
Ed Issler
Lenoara WaltzWm Tuson
Ed Issler
Introduction & Waltz From CloverWm Tuson
Ed Issler
AndanteWm Tuson
Ed Issler
Aria & VariatioinWm Tuson
Ed Issler
Casino WaltzWm Tuson
Ed Issler

【1890年12月5日の出来事】
・エジソン・フォノグラフ・ワークス関連書簡(1890年12月5日付)
1890年12月5日付で、エジソン・フォノグラフ・ワークス(Edison Phonograph Works)に関する金銭・融資に触れた書簡が、トーマス・A・エジソン・ペーパーズ・デジタル・エディション(Thomas A. Edison Papers Digital Edition)に収録されています。資料上は、ジョン・F・ランドルフ(John F. Randolph, 生没年不明)からエジソン・フォノグラフ・ワークス宛、ならびにサミュエル・インサル(Samuel Insull, 生没年不明)への言及が確認できます。
・ハンガリー王立歌劇場の上演記録(『シナン・バシャ』)
1890年12月5日、ハンガリー王立歌劇場(Royal Hungarian Opera House)の上演記録として『シナン・バシャ(Sinan basa)』が同日の演目に含まれていたことがデータベースに記録されています。ガラ公演(資料上の表記)としての上演回に位置づけられています。

6日(13曲)

TitleArtist
New York At Night MarchIssler’s Orchestra
Wiener Blut WaltzIssler’s Orchestra
Polka From Vienna To BerlinIssler’s Orchestra
Overture – LebenslustIssler’s Orchestra
Vaudeville GavotteIssler’s Orchestra
Eureka OvertureIssler’s Orchestra
QuadrilleIssler’s Orchestra
Redowa – Birds Of SpringIssler’s Orchestra
Gondolier WaltzIssler’s Orchestra
Light As A Feater PolkaIssler’s Orchestra
Erminie – SelectionIssler’s Orchestra
Elemoren WaltzIssler’s Orchestra
I Whistle & Wait For KatieIssler’s Orchestra

【1890年12月6日の出来事】
・仁科芳雄の誕生
日本では物理学者の仁科芳雄(1890–1951)が誕生しています(岡山県里庄町)。仁科芳雄は後年、理化学研究所(RIKEN)を拠点に日本の近代物理学研究を牽引した人物として位置づけられています。
・ルドルフ・シュリヒターの誕生
1890年12月6日、ドイツ帝国では画家・版画家・作家のルドルフ・シュリヒター(Rudolf Schlichter, 1890–1955)が誕生しています。後年のルドルフ・シュリヒターは「新即物主義(New Objectivity)」の重要な担い手の一人として言及されます。
・ディオン・フォーチュンの誕生
イギリスでは作家・神秘主義者として知られるディオン・フォーチュン(Dion Fortune, 1890–1946)が誕生しています(出生名ヴァイオレット・メアリー・ファース)。
後年のディオン・フォーチュンはオカルティズムや神秘思想の著作で広く参照されるようになります。

1890年12月の録音に関する情報のまとめ

1890年12月の録音史は、個々の録音が日付まで特定できる事例が限られる一方で、事業モデルの転換が記録の流通と制作体制に直結しはじめた時期として位置づけられます。ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)は、コイン投入式の興行を担ったオートマティック・フォノグラフ・エキシビション・カンパニー(Automatic Phonograph Exhibition Company)との契約関係を抱えつつ、1890年12月に各地の系列会社へ機器の一般販売方針を示し、これに対して差止命令が認められたとされています。こうした「貸与」から「販売」への揺れは、家庭内の自家録音と、街頭・店舗での聴取体験という二つの需要を同時に押し広げ、録音物が商品として流通していく前提を整えていきました。また、コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)ではエドワード・デニソン・イーストン(Edward Denison Easton, 1856–1915)名義の1890年12月19日付メモランダムが残り、当月の業務が文書として確認できます。

オートマティック・フォノグラフ・エキシビション・カンパニーとノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニーの差止命令

1890年12月、ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)が系列会社に対してフォノグラフの一般販売を進めようとした動きに対し、オートマティック・フォノグラフ・エキシビション・カンパニー(Automatic Phonograph Exhibition Company)が契約上の利益侵害を理由に差止を求め、仮差止命令が認められたとされています。コイン投入式の展示・興行が収益の柱であった段階では、機器の流通方針がそのまま録音物(音楽フォノグラム)の供給形態や需要のあり方を左右し、1890年12月は「聴かせる装置の展開」と「録音物の扱い」のせめぎ合いが法的手続として表面化した時期として位置づけられます。

コロンビア・フォノグラフ・カンパニーによる社内メモランダムの存在(1890年12月19日)

1890年12月19日付で、コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)によるメモランダムが残されており、エドワード・デニソン・イーストン(Edward Denison Easton, 1856–1915)に関連づけて整理されています。録音現場の詳細や具体的な曲目をこの資料だけで断定することはできないものの、1890年末の時点で録音・複製・運用に関する業務が文書として管理されていたことを示す、日付の確定した一次資料として重要です。

オートマティック・フォノグラフ・エキシビション・カンパニーの業務報告(1890年12月31日)

1890年12月31日付で、オートマティック・フォノグラフ・エキシビション・カンパニー(Automatic Phonograph Exhibition Company)名義の報告書が作成されています。資料のメタデータ上、販売および保守(サービス)に関する報告とされており、コイン投入式フォノグラフの運用が、機械の配置や維持管理だけでなく、再生に必要なシリンダー(録音物)の継続的確保と不可分であった状況を裏づける手がかりになります。月末日付の報告が確認できること自体が、1890年12月に録音再生ビジネスが「日々の運用」として成立していたことを示しています。