1891年9月に録音された音楽
1891年9月は、産業化と大衆文化の接点が各地で具体化していく月でした。フィンランドではタンメルコスキ急流の水力を利用した発電がタンペレで始まり、都市の工業動力が「電気」に結びついていきます。スポーツでは、イングランドのフットボールリーグ(The Football League)でウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズ・フットボールクラブ(Wolverhampton Wanderers F.C.)が得た最初期のペナルティーキックを、ビリー・ヒース(Billy Heath, 1869–没年不明)が成功させ、規則が試合の現実に組み込まれていきました。政治面では、チリ内戦(Chilean Civil War of 1891)の帰結としてホセ・マヌエル・バルマセダ(José Manuel Balmaceda, 1840–1891)がサンティアゴで自殺し、国家運営の枠組みが大きく転換します。企業史では、アウグスト・ティッセン(August Thyssen, 1842–1926)がドイツの重工業資本形成を進め、後の巨大企業体へ連なる動きが見え始めます。ウルグアイではモンテビデオで中央ウルグアイ鉄道クリケット・クラブ(Central Uruguay Railway Cricket Club)が創設され、のちのクラブ・アトレティコ・ペニャロール(Club Atlético Peñarol)へ連なるスポーツ組織の起点となりました。
この月の確認されている録音:0曲
1891年9月の録音に関する情報のまとめ
1891年9月について、現存録音(音源)そのものを「1891年9月」と月単位で確定できる事例は、今回参照した公開資料上では確認できませんでした。一方で、当時の録音実務や蓄音機の社会的な使われ方を同時代資料として伝えるものとして、ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)が刊行に関与した雑誌ザ・フォノグラム(The Phonogram)の1891年9月号が確認でき、各地の実演・展示・利用場面(博覧会での展示や「声を録る」実演など)を示す見出しがまとまって掲載されています。
フォノグラム
ザ・フォノグラム(The Phonogram)の第1巻第9号は、刊行月が1891年9月と明示されています。編集者としてヴァージニア・エイチ・マクレー(Virginia H. McRae, 生没年不明)が示され、蓄音機をめぐる実用・運用・周辺技術を扱う記事群(たとえば「蓄音機の実用」「蓄音機に関する質問への回答」「蓄音機に不可欠な動力」など)が並びます。録音史の一次資料としては、何が「録音され、再生され、見世物や業務に組み込まれていたか」を同時代の言葉で追える点が重要です。
エクスポジション
同号の目次には、ピッツバーグ産業博覧会(Industrial Exposition in Pittsburgh, Pa., 正式名称不明)を扱う記事見出しが確認できます。これは、1891年9月の時点で蓄音機が博覧会という大衆空間で展示され、実演を通じて受容されていた状況を示す手がかりになります(記事本文の具体内容は、今回の参照範囲では確認できませんでした)。
ボイスレコーデッド
同号の目次には「ゼア・ヴォイシズ・レコーデッド(Their Voices Recorded)」という見出しが確認できます。見出し自体は、複製可能な「声」が話題として成立していたこと、また録音が「出来事」や「体験」として語られていたことを示します。ただし、誰の声が、どこで、どの方式で録音されたかといった個別事実は、今回の参照範囲では確認できませんでした。
