1896年に録音された音楽
1896年は、19世紀末の世界が「帝国の拡張」と「都市の大衆化」を同時に進め、通信・金融・娯楽が一体化して加速していく転換点の年でした。国家の境界が武力と条約で引き直され、遠隔地の事件が新聞や興行を通じて広域に共有されるようになります。こうした同時代の緊張と熱狂は、戦争・災害・事故・群衆イベントといった題材を音楽や口演へ吸い上げ、さらに記録メディアがそれらを反復可能な情報として固定していく流れを強めました。
国際政治では、1896年3月1日のアドワの戦い(Battle of Adwa)でエチオピアがイタリア軍を破り、第一次イタリア・エチオピア戦争(First Italo–Ethiopian War)を経て、1896年10月23日のアディスアベバ条約(Treaty of Addis Ababa)で独立があらためて確認されました。東南アジアでは、秘密結社カティプナン(Katipunan。正式名称:Kataastaasan Kagalanggalang Katipunan ng mga Anak ng Bayan)が1896年8月に当局へ発見されたことを契機に、フィリピン革命(Philippine Revolution)が武装闘争として顕在化します。アフリカ東岸の島嶼国家ザンジバルでは、1896年8月27日の英ザンジバル戦争(Anglo–Zanzibar War)が短時間で決着し、軍事力と外交が統治の形を急転させる現実を示しました。米国ではプレッシー対ファーガソン事件(Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537 (1896))が1896年5月18日に判決となり、人種隔離を合法とする「separate but equal」原則が長期的影響を持ちます。同年の大統領選(1896 United States presidential election、投票日1896年11月3日)ではウィリアム・マッキンリー(William McKinley, 1843–1901)が当選し、通貨制度をめぐる対立はウィリアム・ジェニングス・ブライアン(William Jennings Bryan, 1860–1925)による「金の十字架」演説(Cross of Gold speech、1896年7月9日)に象徴されました。北米では1896年8月、クロンダイク川水系のボナンザ・クリーク(Bonanza Creek。旧称Rabbit Creek)で金が発見され、のちのクロンダイク・ゴールドラッシュ(Klondike Gold Rush)の引き金となります。
科学技術と社会の側面でも、1896年は「測る・つなぐ・映す」が同時に前進します。通信ではグリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)が無線通信に関する英国特許出願(1896年6月)を行い、遠隔通信の前提が更新されていきます。気候科学ではスヴァンテ・アレニウス(Svante Arrhenius, 1859–1927)が論文「On the Influence of Carbonic Acid in the Air upon the Temperature of the Ground」(1896年4月)で、大気中二酸化炭素が気温へ与える影響を定量的に論じました。金融ではダウ工業株30種平均(Dow Jones Industrial Average; DJIA)が1896年5月26日に初めて公表され、経済の動きを単一指標で語る枠組みが普及していきます。一方で近代の加速は危機も運び、英領インドのボンベイ(Bombay。現ムンバイ)では1896年9月に腺ペスト(bubonic plague)の流行が宣言され、都市衛生と移動の問題が社会秩序を揺らしました。日本では1896年6月15日の明治三陸地震津波(Meiji–Sanriku earthquake tsunami)が甚大な被害をもたらし、災害の経験が地域の記憶と記録へ深く刻まれます。
こうした世界の変化は、映像と音の大衆メディアにも直結します。1896年4月23日、エジソン社のヴィタスコープ(Edison’s Vitascope)がニューヨークのコスター&ビアルズ・ミュージック・ホール(Koster & Bial’s Music Hall)で初の劇場公開(first theatrical exhibition)を迎え、映像は公共空間の興行として急速に存在感を増していきました。録音産業側でもトーマス・エジソン(Thomas Edison, 1847–1931)がナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)を1896年1月27日に法人化し、機械と録音物の供給体制を整えていきます。事件やスペクタクルが音楽題材として流通する動きも強まり、スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1868–1917)は群衆事故を主題化した「Great Crush Collision March」(1896年初版。別題「The Crush Collision March」)を公刊しました。1896年は、世界の出来事が娯楽化され、さらに記録技術によって反復可能な情報として固定されていく輪郭が、いっそう鮮明になった年でした。
ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)
ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)は、ゴットフリート・モーゼス・ルーベン(Gottfried Moses Ruben, 1837–1897)がコペンハーゲンで1889年から1890年代半ばにかけて制作した、デンマーク最初期の蝋管録音群です。1889年から1890年代半ばまでに録音された蝋管をMOPMではまとめて「ルーベン・コレクション」として整理し、録音一覧を専用ページに掲載しています。
